(twitter貼り付け練習を兼ねて書いてみた)
4月上旬発売予定の後藤明生『引揚小説三部作』の装丁はこんな感じ(束見本に色校を巻きました)。「夢かたり」「行き帰り」「噓のような日常」を収録。巻末解説は山本貴光さん!上製角背・糸かがり綴じ函入で、堂々の544ページ!こんな時代だから読んで欲しい、引揚者たちの日本に対する複雑な想い―― pic.twitter.com/CJVuzMzUye
— つかだま書房 (@tsukadamashobo) 2018年2月28日
ある論文がある書物に「収録」されているという表現を、編集の方が一括して「所収」と修正(提案)してきた。私の語感では圧倒的に前者なのだが、後者がより正しいのだろうか。
— 吉田寛 Hiroshi Yoshida (@H_YOSHIDA_1973) 2013年1月4日
ひとつめのツイートの画像を見ると、帯に《三作品を完全版で所収》とある。
まえまえから、「所収」の使われ方に疑問を感じることはたまにあり、かといってどの用法が正しいのか、大ざっぱに辞書を見たり検索したりしただけではいまひとつ決定打に出会えていない。あくまでも、自分の日本語人生に於ける経験の蓄積からそう感じるだけなのだが…
そう思いながら見つけたふたつめのツイート、これに対する返信にさらに続いて、元ツイート主の吉田寛さんが、
https://twitter.com/H_YOSHIDA_1973/status/287208698445709312
「収録」とは違って「所収」は動詞では使わない、というのが私の認識(違和感)
と書いておられるのもだいたい私の感覚に近い。
「所収」という言葉のよくある使われかたとして、出典表記なんかで
- 「短編A」(『作品集B』所収)
というのがあると思う。この場合、意味するのは
- 『作品集B』が収めるところの「短編A」 ("story A" which "book B" contains ←英語、これで合ってるかしら。関係節というのか?)
ではないのだろうか。私は少なくともそう思ってきたんだけど。ていうか、この「所」ってナニ?
最初に戻ると、画像の書籍に付いている帯の宣伝文は、《三作品を完全版で収録》でいいはずだし、なぜ《所収》にするんだろうと思ってしまう。