コイズミに似た(?)2人

  • 老人Z』(1991) 北久保弘之監督 / 大友克洋原作・脚本・メカデザイン

 寝たきり老人版『わたしは真悟』とでも言いたくなるこの物語。既に14年前の作品だけど、《全自動看護ベッドZ-001号機》と一体化して暴走することになる高沢喜十郎老人が、どことなく小泉純一郎と似ているのが今見ると可笑しい。
 追跡するヘリコプターの窓からハッと横を見ると《老人Z》がモノレールを爆走している場面にはさすがに笑った。猫の白黒ブチ柄も良いです。

 先ごろ来日して「コイズミと似ていると娘にも言われた」とか語っていたリチャード・ギア、内心とっても嫌な気分なのでは?いくら映画の宣伝のためとは言え、コイズミとダンスまでさせられて、同情します。
 
 そんなギアが貧乏な農場経営者なんて・・と今では意外な感じもするけど、『天国の日々』では農場経営どころか、流しの季節労働者役で高い評価を得ていたのだから、「俺には農場が合っている」という劇中のセリフもけっこう当たっているのかも。


 
 かつては経営も順調な優良農場として、訪米中のフルシチョフも視察に来たという誇らしい追憶の場面。大きな体のブライアン・デネヒーが、回想シーンだけに登場する偉大な父を演じている。この場面が少々しつこいほど長いのは、主人公兄弟(特に兄のギア)にとってobsessionになっていることを示しているのだろう。
 息子たちの代になって経営がうまく行かなくなったのは、時代の流れゆえどうしようもなかったのか、政治の責任なのか、個人の手腕不足だったのか。解説には「農業政策の矛盾を問う」などと書かれていたが、映画はその辺りを特に具体的に指摘しているわけでもなく、ただ周囲の人は誰もが彼らを責めず同情的であることで、彼らを取り巻く状況を示している。いずれにせよ、農場を失う羽目になった兄は父に対して敗北者なのだ。終わりのほうで彼が訪れる両親の墓石に刻まれた名前以外に、母親がこの映画に全く登場しないのが象徴的。
 冒頭でフルシチョフの一行が黒塗りの車を連ねてやってきた農業地帯の街道を、兄の車はカナダ国境へ向けて逃走して行き、自首を決意した弟を逮捕しにパトカーの一団が駆けつけてくる場面で映画は終わる。
 
 これがゲイリー・シニーズの初監督作で、2作目が盟友かつ名優のジョン・マルコヴィッチと共演した『二十日鼠と人間"Of Mice and Men"(1992)。これも農場を渡り歩く(そうせざるを得ない)季節労働者の悲劇を描いた、また別の意味でやりきれない映画である。ゲイリー・シニーズがラストで見せた悲痛な表情が印象に残っている。2作並べてみるとシニーズの関心の在処がより明らかになる。
 ジョン・マルコヴィッチは『マイルズ・フロム・ホーム』にも、ちょい出演。最近すっかりヨーロピア〜ンな人になってしまった感じのマルコヴィッチだけど、シニーズとの共演がまた見られたら・・・と願っています。