物いふ子猫に遇ふてもスルー

森銑三『物いふ小箱』(筑摩書房) 読了。


 1988年に刊行された奇談集で、著者の没後にお弟子さんが編纂したものらしい。
 さいきん講談社文芸文庫に入ったほうは『新編 物いう小箱』となっているので、内容がいくらか変わっているのだろう。ほんとはそちらを狙っていたのだけど、図書館に『新編』が入っていなかった(この筑摩の旧版が収蔵されているからだろう)ので、しかたなく。


 奇談と言っても、幽霊や化け物が出てくるような怪異話だけではなく、盗人にしてやられたというような滑稽話も含まれている(『耳嚢』もたしかそういう内容だったのでは?)。また、聞き書きなのか、古い書物から採ったものなのか、著者自身の創作なのかが曖昧な感じもある。淡々と記録めいた書き方のものもあれば、心理描写など小説仕立てっぽいものもあり、ちょっとごちゃ混ぜな印象を受ける。しかし全体にひじょうに柔らかな調子で一貫しており、おどろおどろしさとは無縁。真夏に読むにはちょっとインパクトが弱そう・・いまごろのボンヤリした季節でちょうど良かったかも。


 そんな中で私が気に入ったお話は、「仕舞扇」
 亡くなったはずの人が、約束だった誂えの仕舞扇を持参して謡仲間を訪れ、最後にひとさし舞うというもので、話そのものはありふれた筋書きといえるかもしれない。でも、水色の袱紗から取り出される〈桜に鳳凰〉〈牡丹に唐獅子〉〈菊に童子〉の三本の扇の美しさ、〈謡ふ四郎左衛門も、舞ふ彦兵衛も、どちらも楽しさうだつた。二人の心と心とはひとつに融け合つてゐた。〉という場面、舞い終えた友がふと庭へ消え去っていくのを見送るうちに〈急に睡気がさして来て〉・・・というあたりの夢幻的な感じがとても快く、夏の日盛りの座敷の晴ればれした眺めが目に浮かぶようで、幽霊話なのに幸せな読後感が残った。


 「霊芝寺」も不思議なひろがりを感じる話。
 道に迷った山中で宏壮な古刹を見かけ、つい入っていくと、講堂の天井の孔から僧侶がつぎつぎに降りて来る。千万里も離れたほうぼうの都市から一日でやって来たなどと言っているのが漏れ聞こえる。不思議のあまり主人公が声をあげると僧たちはまたつぎつぎに姿を消し、気がつくと寺も消え去ってもとの山道に戻っている。後日知らされた話では、霊芝寺は大昔に建てられた寺で〈久しい年月にわたつてあまたの名僧智識がゐた〉が、今は所在も判らなくなっていて、ただ時おり鐘の音だけが聞こえるのだ・・・というものだ。今は消えた山奥の古刹に、楽しげに集い続ける幾世代ものかつての名僧たち、という設定がとてもスケールが大きくてロマンチック!


 また、猫が人語を喋る話もいくつか収められている。いずれもなんだかオチのないような、変なノリの話だが、共通しているのは、猫は人語を喋るところを(心ならずも)人間に聞かれてしまうと、ひじょうに気まずいというかバツが悪いらしい。だから、万一そんな場面に出くわしても、聞かなかったふりをしてあげないとアカンなぁ、と思った。