小野田さんと日本

 テレビをつけたらやっていたので、途中から少しだけ観た。いい加減に観ていたので内容誤認があったらごめんなさい。
 
 「横井さん」「小野田さん」が帰ってきた時のことは憶えている。でもその後の小野田さんを取り巻いていた状況や、ブラジルへ移住した経緯などは何も知らなくて、今回初めて見る当時の映像に「そうだったのか・・」と思うことしきり。
 やっぱり「小野田さん」は当時の日本にとって、思い出したくない過去からよみがえってきた怨霊、みたいな存在だったのだろう。上官の命令が無いかぎり「作戦中止」はできない、と小野田さんに言われた時、戦後日本で平穏に暮らしていた元上官その他軍人は居たたまれない気持ちだったのではないか。帰国した小野田さんを「どうか何も発言してくれるな」という空気が取り囲んだことが想像される。
 ブラジルへの移住を決意した直接の動機として小野田さんは、全国から自分に寄せられた義捐金靖国神社へ寄付したことに対して「軍国主義礼讃」だと批判が起きたことを挙げていた。これが2005年の現在だとまた少し違ったふうな反響をよんだのかもしれないが、あの70年代当時の雰囲気だとさもありなむ・・という気がした。


 小野田さんは日本に帰国してまもなくブラジルへの移住を決めている。自分が全てを犠牲にして数十年間守り通してきた(と思いこんできた)ものは、ふつうはなかなか諦めきれない。言い訳してみたり辻褄合わせをしてみたりして苦しむことが多いのではないか。なのにこの決断の速さ、思考の切り替えの鮮やかさはすごい。やはり小野田さんはいろんな面で優れて非凡な人で、ただ「根性」とか「軍人魂」だけでジャングル生活をたまたま生き延びたというわけでは無かったことが、この事からもよく解る。そして、すみやかに日本を見限った小野田さんの判断は正しかったのだろう。その後の日本はおそらく小野田さんが守るにはもちろん、暮らすにも値しない国だったのだ。
 ブラジルのマット・グロッソ州という地名を聞いたとたん、『輝ける碧き空の下で』を思い出した。そこでゼロから始める開拓生活の困難さは、おそらく小説の時代とそう大きく変わらなかったのではないだろうか。現在は農場経営で成功している小野田さんが、水流を見極めて井戸を掘ることについて語る場面があった。地形を見れば、どちらへどのように水が流れるか判る。井戸を掘って失敗したことはないというような話だった。地形や水脈を見極めるように的確に、小野田さんは日本を離れていったのだと思った。


 小野田さんよりかなり年若い夫人は、何もかも捨ててブラジルへついていった時はまさに命を捨てる覚悟だったという。小野田さん本人ともまた違う、言葉では言い表せない苦労があったはず。夫人もまたスケールの大きな女性なのだろう。
 でも、小野田さんみたいな男の人とだったらどこへでもついて行く!と思う女の人も多いのでは(笑)。井戸が掘れるし、食べ物がなければ手製の弓矢で動物をしとめてでもちゃんと持ってきてくれたりしそうだ。どこへ行っても何とかなりそうな気になる。こんなすごい人から、長い年月を奪ったあげくに愛想を尽かされてしまった情けない国ニッポンの夏。あー暑い。