グラナダTVそして桂枝雀

森卓也『映画そして落語』(ワイズ出版


 10/10の日記のコメント欄で、「グラナダTVのドラマのことが書いてあるよ」と、id:kokada_jnetさんに教えて頂いた本。同じ著者の『映画 この話したっけ』(同)に続いて図書館で借りてみた。どちらも分厚い本で全部は読み切れなかったけれど、フィルムサイズや映写方法についての専門的な話なども載っていて興味深かった。知らない・観たことのない古い映画についても、話しじょうずな映画好きおじさんの話を聞いている感覚で、なんとなく面白く読めてしまう。

 さて目当ての「グラナダTVの世界 『心理探偵フィッツ』と『第一容疑者』」は、思っていたよりもかなり詳しい紹介と分析で、各エピソードの概略も載っている。このおかげで、私は『フィッツ』の(全九話+スペシャル版のうち)第七,八話あたりの記憶がハッキリしないことが判明→観てないのかも(だとすると心残り)。森氏は第四話と第六・七話をシリーズ中のハイライトとされているが、私にとっては第二話「恐るべき恋人たち」と第五話「ゆがんだ信仰」(サマンサ・モートンとの衝撃的な出会い!)が一番印象に残っている。

 また『第一容疑者』も、はじめの頃観たぶんはほとんど忘れているのだけど、上司による手柄の横取り・裏取引など、思っていた以上にイヤな話続出だったことが確認できた。これもできれば全部もう一度観てみたいもの・・。


 グラナダTVマンチェスターにあるテレビ制作会社。これらのドラマの暗ーい雰囲気はマンチェスターが醸し出していたのか。もちろんこの2作だけでなく、『ブライヅヘッドふたたび』などグラナダ制作の番組はいつの間にかたくさん観ていて、ずいぶんお世話になっているのであった。森氏が指摘している、映画と同様にフィルムで撮って作っていることが関係しているのかどうかは解らないが、その重量感と強烈さは、日本で「テレビドラマ」と言った時に感じる「お茶の間」感とはほど遠いものがある。『マイ・ビューティフル・ランドレット』も元はテレビ映画だったものが劇場公開されたそうで、これも驚き。


 それからもう一つのテーマ、落語。私は落語ファンでもないのだが、それでも『枝雀寄席』の公開録画を含めナマで桂枝雀さんの落語を聞いたことは2,3度ある。そのぐらい、当時の枝雀人気はすごかったわけです。この本に収められている枝雀に関する長いエッセイのおかげで、小米時代からのいろんなエピソード、芸風の移り変わりなども少しは窺い知ることができた。
 枝雀が亡くなった時は「あー、やってしもたか」という気持ちと、「病気なのは本人も周囲もわかっていて、それでも防げなかったのだから仕方ない」という気持ちが同時に湧いてきたものだった*1。このエッセイで、同業の噺家たちの間では、また別の意味で(噺家・枝雀の行き着く先として)避けがたい事だったというふうな受けとめ方もあったことを知り、なんだか鬼気迫るものを感じた。私が知っていた頃の枝雀は、ひとやま越えていったんたどり着いたある地点だったと思うけど、その前も後もずっと苦しかったんかなぁと思うと辛い。
 それにしても吉朝さんも思いがけず早世されてしまったし、米朝さんは果たして弟子運が良かったのか悪かったのか・・・。

*1:その後、「死ぬなよーアンタは死ぬなよー」と思っていた中島らもが、意表をつくアホな(ごめんなさい)亡くなりかたをしてしまった時の脱力感。枝雀と直接関係はないけど、どうしても連想してしまう。