いつか迷いこむ日には


アーシュラ・K・ル=グウィン『なつかしく謎めいて』(河出書房新社)読了。


 空港で乗り継ぎ便を待つ間の、苦痛と退屈と消化不良を利用(?)して、わたしたちの次元とは異なるさまざまな別次元へと旅行する方法=「シータ・ドゥリープ式次元間移動法」が発見された。『ローナンのポケット次元ガイド』なる案内書を手に、あちこちの次元へ旅したエピソードが綴られる連作短篇集。


 『なつかしく謎めいて』というタイトルにまず魅了されてしまったのですが、これはどうやら訳者の創意によるものらしく、原題とは関係ないものでした。ヨーロッパの古い版画みたいな挿絵*1 *2が適度な時代錯誤を呼びおこし、いつ/どこでもない感じを伝えてくれます。全体に穏やかな調子が続くのですが、最後のほうでだんだん盛り上がる(?)ように構成されています。

 その次元の特色を羅列的に述べた、地誌的な体裁に近いものは、つい「これはどこの話かな・・」と現実との対応を考えたり、寓意を読みとろうとしてしまって少し疲れます。もうちょっと具体的な物語性をもったものが私には好ましく、特に「その人たちもここにいる」は老婦人が窓辺で刺繍する場面など、人々や会話が具体的で印象に残る一篇です。でもこのヘネベット次元を支配しているルールは神秘的で、ほかの人生を生きること(転生・生まれ変わりと言ってしまうと正しくないような)が暗示されているのですが、はっきりとした答えは与えられず(というか、複数性を帯びた曖昧さこそがこの次元の特徴であるらしい)、それだけに余韻が残ります。
 また「四つの悲惨な物語」に描かれたマハグルの帝国図書館も、ひろびろと快適で非常に魅力的に描写されています(そこで語り手が読むこの国の歴史が、残酷な殺戮と破壊に満ちているのと対照的に)。読書好きはこの次元をぜひ一度訪ねて、さわやかに風の通る庭園でページをめくってみたいと思うでしょう。
 行ってみたいといえば、「グレート・ジョイ」で紹介されるホリデー次元は、アメリカ商業主義のグロテスクな戯画ではありますが、いわば永遠に祝日が続く、巨大なテーマパーク。とても誘惑を感じる次元だったのですが、経営者が替わってしまったとは残念です(笑)。
 「謎の建築物」は、コク次元を舞台にダコとアクという2人種の勢力争いの顛末と、アクの不思議な習慣を、淡々と執拗に綴ると見せて最後になんとも言えず不気味な疑問を残して終わる、とくに幻想味を感じた一篇です。また、「不死の人の島」はそれだけで恐怖小説として読めそうな、まとまったお話。
 
 私自身は旅行というものをしないし、空港を利用したこともほとんど無いので、次元間移動をうみだしたきっかけについてはあまり切実な共感を持てなかったのですが、旅をしないぶんなおさら「よその世界へちょっと行ってみる」という設定には単純に魅力を感じました。
 少し話が飛躍しますが、私は初めて通りかかった街のスーパーマーケットに入った時など、不思議な感覚をおぼえることがあります。自分の属する世界に隣り合った、そっくりなのだけど自分は入っていけないもう1つの世界があって、そこでもひとびとが同じように買い物をしたり学校に通ったりごく当たり前の生活をしている。そこへ不意に迷い込んでしまったみたいな、そして実は私の生活もそこでずっと続いていたかもしれないような気分。それはなつかしさに似た感覚かもしれません。
 この本に描かれたいろんな次元の幾つかは、SFらしい思考実験(遺伝子操作が進めば・・というような)なのでしょうが、そこを訪ねていくという設定が上述の「隣町のスーパーの妙ななつかしさ」を思い起こさせるという点で、邦訳タイトルもふさわしいような気がします。