何だったんでしょうねほんとに

 保阪正康『あの戦争は何だったのか − 大人のための歴史教科書』(新潮新書) 読了。

 内容は基本的なものなので、私ですらどっかで聞いたことのあるような事柄も多いが、戦争の話はいくら聞かせてもらっても充分と言うことはないですし。ただし保阪氏が書いているように、定まった視点を欠いたまま各人が各人の経験をバラバラに語り続けても、戦争の全体像はいっこうに明らかにならないというのもまた事実。(この本に限らず)今になったからやっと書かれるという面もあるのかも知れないが、数十年間続いた“豊か”だったはずの時期に、あの戦争について何もかもじっくり考えつくし、清算しうる事柄についてはキレイにしてしまうということを、国の一大事業としてなぜできなかったのかなぁという情けなさを感じる。

 「はじめに」の中で、1939年生まれ(=私の両親よりは少し下の世代)の保阪氏が小学生当時に受けた“平和教育”(アメリカが撮影した戦争の記録映画を見せられ、日本の特攻機が撃墜される場面で教師たちが拍手をしていたという氏にとってのトラウマ体験)が紹介されている。私の小学生時代にはさすがにそういうことはなかったけれど、夏休み中の8月6日が一斉登校日になっていて、毎年「戦争はイケませんね」と確認を求められる習わしがあった。そんなこと今さら私に言われても・・・という迷惑な感じはいまでもおぼえている。日教組がすごく強い時代&地域でありました。
 当時私たちを教えていた教師たちはほとんど戦後教育で育った世代だったと思うが、もう少し上に、あの戦争を実際に担い、あの戦争について直接責任が無いでもない人たちが、平然と日本社会を切り回す中心的存在として、まだ現役で活躍していたんだということを、ずいぶん後になって思った。本当は上の世代に向かって責任を追及する(少なくとも事実を徹底的に確認する)べきところを、私たち子供に向かってお題目を聞かせることで“仕事”をした気になっていた教師という人種のおめでたさは、保阪氏の小学生時代とあまり変わらない。
 この本の末尾近く、日本の敗戦後も、インドネシアビルマベトナム独立運動に身を投じそのまま現地で死んでいった元日本兵たちの話が出てくる。

(...)こうした真の「東亜解放」の戦士たちは、日本では「逃亡」扱いとされ、生きて日本に帰ってきた者も、軍人恩給の面で差別されていた。(...)よく、「大東亜共栄圏はアジアの独立、解放のためになったのだ」などとしたり顔で言う元高級軍人や政治家を見受ける。それに追随して「大東亜戦争の肯定論」を撒く人たちがいる。そんな彼らを見ていると、戦後、日本で安穏と暮らしながら、臆面もなくよく言うよと思ってしまう。

 そんな「臆面もな」い元当事者たちも、まんまと全員この世から退場しつつある。彼らをのさばらせたのは、宿題を私たちに回しておいて「戦後」を謳歌した、教師たちや私たちの親の世代なんだけど、やっと食べられるようになった嬉しさに思わず何もかも忘れてしまった彼らの哀れさを思うと何も言えない。そのもとでノホホンと育ってしまった私(の世代)がけっきょく一番無責任ということですか・・

 印象に残ったのは、アッツ島。「アッツ島」といえば「玉砕」と、私でも自動的に連想するくらいだが、実はそれまで「戦闘らしい戦闘は何もなく、隊員たちはみな魚を釣ったりして気楽な駐屯生活を送っていた」という。突如米軍の上陸が始まり、援軍を送ろうにもみな南方へ出払っており、しかたがないのでできるだけ時間を稼いで全滅して下さい、ということだったらしい。全部悲惨なんだけど、とにかく悲惨である。