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 きょうは図書館へ行きました。小雨が降っているというのに、木立からはウグイスが機嫌よく歌う声が。ただしホーホケキョとは聞こえず、「ヒョーケキョ」ぐらいの感じでしたが、それでも美しい音色でした。


 ところで帰り道、バス停で時刻表を見ていると、先にベンチに座っていた高齢女性が「今日は土曜日やったら、このバスはもう来ませんのやろか」と尋ねてきました。どうやら彼女が乗ろうとしている路線は土日祝運休らしく、それ以外の便もまだ20分ほど待たないと来ないみたい。別の駅へ向かうバスを待った方が良さそうですねぇと話し、女性が道を反対側に渡るのを見送ってしばらくすると、ちょうどその別の駅へ向かうバスがタイミング良くやって来るのが見えたので、こちらもホッとしました。

 知らない人に話しかけられるのは苦手ですが、今日は他に誰もバスを待つ人が無かったのでしかたありません。それに使い慣れたバス路線の時刻表を見てあげるぐらいならまだ良いのですが、もっと返事に困るようなことを聞かれることもしばしば。先日、id:weiraiさんがなぜかよく道を(しかもご自身がよく知らない場所でも)尋ねられるという話を書いておられて、私も少し似た経験があるのでウンウンとうなずきながら読みました。
 だいたい知らない人に声をかけて何かを尋ねるとしたら、なるべく親切で人当たりが良さそうで、できれば物知りで信頼できそうな人を選んで声をかけるのが普通じゃないでしょうか?weiraiさんはたぶんチャーミングで生き生きした感じの女性(と私は勝手に思いこんでいる)なので、初対面の人に「話しかけやすそう(^^)」「とりあえず話しかけてみたい!」と思われてもおかしくない気がします。でも私は、自分で認めるのも悲しいけど人相が悪く表情も鬱陶しく、ボンヤリした顔つきで(画像参照→こちらとかこちら)ペタペタと(ただし歩くのは速いよ)歩いており、どちらかといえば「たとえ用事があってもできれば話しかけたくない相手」タイプだと思うんですよ。それなのに、今日みたいに周りに人がいなくて選択の余地がないのならともかく、よく道を聞かれます。


 混雑したJR京都駅のホームでいきなり、「すみません、この(と目の前に止まっている各停を指さし)電車と、次の新快速と、どっちが先に高槻に着きますか?」と込み入ったネタで挑戦してきたオバさんに、そんなん知らんわ駅員さんに聞いたらええのにと心の中では思いつつ、「さぁわかりません」とオドオド答えてしまった私。あれだけ周りに人が居た中で、なぜ私だったのか今でも不思議です。
 また、市美術館前のバス停で、やはり他に人が居なかったのか、チャイニーズ系観光客(でも単独行動)らしい男性が非ネイティヴ英語で質問して来たこともありました。そこは平安神宮も近く観光ルート上なのでけっこうバスの便は良いはずで、何が不都合だったのかもう思い出せないのですが、「この道のもう1つ向こうに東大路という大きな通りがあって、そこにも多くのバスが走っています」みたいなややこしいことを、こちらも片言の英語で必死になって説明したのを憶えています。周りに誰か居たら恥ずかしくてぜったいにしゃべれなかったはず。もうあんな目に遭うのはゴメンです。


 ひどい目に遭ったといえば、JRの瀬田(せた)駅前でバス待ちをしていた時(この時は周りは無人ではなかった)、「すみません、京阪膳所(ぜぜ)駅へ行くにはどのバスが・・・?」と聞いてきたオッさん。京阪膳所駅と言ってもJR膳所駅のすぐそばで、瀬田駅からは2つ目の駅。「京阪もJRのすぐ近くですから、電車で行った方が早いんじゃないですか」と何度説明してやっても、なぜか「バスで行く方法はないんですか」と言って譲らない。たぶんバスの路線も無くはないだろう(知らないけど)が、おそらく電車より本数はずっと少なく時間も掛かるし料金も高い。どういうメリットがあるのか意味がわからずとうとう腹が立ってきた私:「なんでバスで行かないといけないんですかっ!? だーかーらー膳所駅はこの瀬田駅(と目の前の駅舎を指さす)から2駅乗るだけですよ!それじゃダメなんですか!?」と、平常より更に険しい顔で詰問したところ、駅舎に表示された駅名を見たオッさん:「アッ! ここは瀬田駅!・・・すみません!すみません!すみません!」と後ずさりするようにフェイドアウト(しかも駅でもバス停でもない謎の方角(笑)へ)していったのでした。どうやら少し名前が似ている(いや全然似てないけどね)膳所駅と瀬田駅を勘違いし、いま自分が居るのは膳所駅前だと思いこんでいた模様。なので「膳所駅はここから2駅ですよ」と懇切丁寧に繰り返してやっている私*1を、まるでバカを見るような「わからんやっちゃなぁ」視線で見てやがったのだ。無償で詳しく説明してやったことは何ら感謝もされず、しかも後には「オトナげなく路上で大声を出す怒りっぽいオバさんとしての私」ひとりが残されたのでした。


 こうしてみると、いきなりものを尋ねてくる人に何かを教えてやるというのは、つくづくお人好しな行為だと思わずにいられません。私が(weiraiさんは違うよ!)道を尋ねられやすいのも、ただ単に「ヒマそう」「つけこみやすそう」に見えるだけなのかも。「どうせものを尋ねるなら、ボンヤリしたお人好しな人よりも、物知りで賢そうな人に尋ねればいいのに」というのはこちらの勝手な思いこみで、私なんかにものを尋ねてくる人というのはだいたい何でも人に聞けばいいと思っている不勉強でルースな人種なのだから、返ってくる情報の確度なんかは最初から斟酌しておらず、ただ手近で利用しやすい相手を捕まえようとするだけなんでしょう。こういう厚かましい人種に対してのみ「話しかけづらい」雰囲気を身体ぜんたいから発散させるようになりたい。でも現実には、肝心の人から話しかけづらいと思われてばかりの人生です。。。。

*1:ブレランの屋台のオヤジみたい