闘う皇族

浅見雅男『闘う皇族 ある宮家の三代』(角川選書) 読了。

 昔の日記の引用や細かい記述にちょっと辛気くさく感じながらも、ネタの面白さで読み終えました。こんなことがあったんですね〜って感じ。
 「宮中某重大事件」というのは聞いたことはあったけど、てっきり根拠のない中傷のたぐいだったのかと思ってました。もしかして私まで無意識のうちに“山県有朋悪役史観”に毒されていたのだろうか(笑)。この件は事情が複雑なので何とも言えませんが、香淳皇后の兄にあたる朝融王が起こした婚約破棄事件のほうは、単なるワガママのようです。色覚異常だけでなく、こんな性格だって遺伝したら困りものと思いますが。

 この本の最後のほう「皇族という存在」という項に、明治維新前後からの皇族の歴史が簡単にまとめられている。江戸時代後期に四つしかなかった宮家の中でも特に天皇家との血縁が薄かった伏見宮家の系統が、いつのまにか勢力(?)を拡大、維新後につぎつぎと新宮家を創設して数を増やしていった経緯が説明されている。*1
 皇族が増えすぎるという問題については最初から考えられていて、明治初年の時点で「新しい宮家については一代限りで臣下に下す」と定められたにもかかわらず、特例やなにやらでこれが守られることなく宮家が増え続けた。そのため、伊藤博文が中心となって明治四十年に皇室典範増補が制定され、天皇から五世以下は華族になる(皇族ではなくなる)ことが定められた。さらにこれをきっちり運用するために大正九年に皇族降下令準則というものが定められたのだが、皇族たち(特に皇族が優遇される明治時代になってから生まれた世代)の抵抗は強く、皇族会議の席では枢密院の決定に反論が続出したという。

 著者はあとがきの中で、平成の現在、皇位継承を巡る議論の中で「旧皇族天皇家や宮家の養子にする」あるいは「旧皇族に新宮家を創設させる」というような意見が出ていることに対して、「そのような主張が、明治以降激増した宮家や皇族の実体をよく見たうえでなされているとは思えな」いと批判している。
 伊藤博文は皇族の増加に一定の歯止めを掛ける必要があると考える理由のひとつに、ずばり「皇位をうかがう皇族も出かねない」ことを挙げていたという。現代においてよもやそんな心配はなさそうに思うが、この本に書かれているように過去には(維新前後の特殊な時代背景もあったとはいえ)好んで政治的な動きを見せたり、いわばルール&モラル破りを平然と行った皇族がいたこと、そして何よりも、旧皇族といわれる家系の人たちがこの数十年ほどいったいどのような考えや生活態度で何をして生きてきた人なのか、私などは全く知らないということを考えると、「皇族が増える」こと自体よりも、正直言って「どんな人たちなんだか、知れやしない」という懸念のほうが先に立つ。
 それに(女性皇族の宮家創設を可能にするという案にも関係してくることであるが)大正九年の例にも見られるように、いったん増やした皇族を後から削減する(増えないようにする)のはなにかと難しそう。戦前のように母親違いの子供がたくさん生まれるということは無いにしても、生まれる子供の数は予測しがたいものだし、まして性別で子供の扱いに区別をするとなると、なおさらコントロールしにくくなるはず(それが現在の事態を招いているとも言える)。その点でもやっぱり女性皇族も男性と同じ扱いにするほうが合理的じゃないかしらんと思いました。

*1:昨今「旧皇族に復帰して頂いて云々」というアイデアが取りざたされているが、その旧皇族とは結局この、六百年以上前に枝分かれして以来、明治時代に至るまで天皇家との婚姻関係も殆ど無く、現在の天皇家との血縁関係が非常に薄い伏見宮家系統の人たちということになるらしい。