8回生まれ変わる、あの者のさいごを見届けるために

 親の無い仔猫(犬)を拾ってきて、先住の成猫(犬)さんに託したところ、母猫(犬)でもないのに自然にお乳を出して飲ませ始めたという話を聞くことがある。なかには、「出産経験が全く無いのに、仔猫(犬)に吸わせているうちに乳が出るようになった」という場合もあるとか。
 産んだ産まないを問わず、小さくて弱い「仔」というものを目の前に差し出されたら、守らねば。育てねば。乳を飲ませねば・・・と動いてしまうのが、哺乳動物の(少なくとも)雌に多かれ少なかれ備わった本能なのだろうと思う。なんで、交尾して孕んで産むだけが「本質的な生」で、乳を与え育てるという当然の営みは母猫から奪ってよいことになるのか、その理屈は推し量りかねる。

 もちろんそれ以前の問題として、自分が一定期間飼っている(=顔のある、固有名を持った)猫の「生の充実」のためには、産まれてきたばかりの(=私が[未だ]個人的に知らない、無名の、その他大勢の)命は抹殺しても構わないという感受性は鈍重&陳腐すぎて、物書きがこんな「ありふれた」ことを書いてお金を頂戴するのかという驚きだってある。しかし仮に百歩譲って、現に飼い続けているところの母猫の「生の充実」とやらを最優先に考えるとしても、上に記したような「母性」を剥奪する行為はその言い訳とすら矛盾している。

 私はそれほど長生きしたいという思いもないのだけれど、くだんの「女流ホラー」作家B.M.の最期がどのようなものになるのかは見てみたい、という好奇心が湧き起こる。そしてこの時と同じように、忌まわしき異形の何者かを仰ぎ見て、また祈るのだ「どうか正義をなしたまえ」と。