寄せては返す波を待機の30年か300年

 ジュリアン・グラック『シルトの岸辺』安藤元雄訳(ちくま文庫)読了。

 小説の中の季節はもっと寒い時期らしいが、日ごとに涼しく秋らしくなって来たここ数日の、静かな夜に少しずつ読み進むのはまことにふさわしい感じだった。もちろん昼間にはぜんぜん読めず。

 この小説の名前を初めて知ったのは中学生の頃、荒俣宏『別世界通信』(月刊ペン社/1977)の巻末に付されていた「書棚の片すみに捧げる100冊」というリストに於いてだった。当時はまだ集英社版を新刊書店で見かけたような気がする*1ので、読む気があったら読めたはずなんだけど。ずいぶん長くかかってやっと辿りついたこの岸辺・・というわけ。なんとなく「愛の寓話」的なひっそり小さな物語を想像していたが、意外なほど政治的で観念的な話、しかも執拗にうねるような比喩をどこまでも積み重ねながら進んでいく。

 ちくま文庫の訳者あとがきは、この作品がしばしばディノ・ブッツァーティの『タタール人の砂漠』と比較され、時には模倣作よばわりまでされたことを指摘しているが、たまたまというか『別世界通信』の「100冊」リストにも、この2作が共に載っている。荒俣本の紹介文を引くと、

 『シルトの岸辺』

 架空の時代、架空の国を舞台にしたグラック最大の幻想小説.処女作「アルゴオルの城」以来グラックにとり憑いた「城」のイメージは、ここではオルセンナという宿命的な都に昇華する.

 『タタール人の砂漠』

 イタロ・カルヴィーノと並ぶイタリア最大のファンタシスト.かれのイメージが結実した「砂漠」に立つ砦に、若い士官が派遣される.かれは歓楽にさんざめく町を想いながら、現われぬ敵軍を待つうちに、やがて砦を離れられなくなる.長大な時だけが、この空恐ろしい砂漠と、砂漠と同じくらい空虚な士官の上を流れすぎる・・・・・・.

 となっていて、正直言って「どっちが『シルトの岸辺』の紹介文だと想いますか?」と尋ねられたら、うっかり「あとのほうです」と言ってしまいそう。それくらい一見似ている(安藤氏の要約で読むと、もっと似ている!)。それに、「城」のイメージがオルセンナの都に昇華・とあるが、じっさい読んでみると結末部に至ってもオルセンナ(の都)自体には形らしきものがあまり感じ取れず、むしろ訳者が指摘するとおり、辺境にある鎮守府の砦あるいは(館そのものが策略の形象化であるような)アルドブランディ家の別邸の存在感こそが「城」のイメージに近い。

 そして、語り手アルドーがヴァネッサと2人ひそかにヴェッツァノ島の高みに登ったところでいきなり視界に姿を現す、敵地にそびえる火山テングリの幻想的な描写が、私には一番印象的だった。

白い、雪のような円錐形が、いま昇ろうとする月にも似て薄紫色(モーヴ)の軽やかなヴェールに乗って水平線を離れ、宙に浮かんでいる。まったく孤独に、真っ白な雪をかぶって、完全な左右対称の形に盛りあがっているところは、氷海の入り口にそびえるきらきらした燈台のようだ。天体のように水平線にせり出してくる姿はとうてい陸地とは思えず、むしろ真夜中の太陽とでも言いたいほどで、いかにもさだめの時刻に、洗い流された深淵から宿命の海のおもてへと、音もない軌道のめぐりに乗って運び出されたように見える。

 この大きな拒絶のようなテングリの姿に冷たく誘惑されて、アルドーは境界線を踏み越えてしまったような気がする。この火山の怖さ?に比べたら、ヴァネッサのキャラクターは余りにも典型的な女性という感じで魅力に欠ける。
 そういえば昔、グラックの他の短篇小説に出てきたのが、やっぱり余りにも男の理想通りというか「都合のいい女」なんで気分わる〜と、友達に宛てた手紙に書いた憶えがあるのだけど、今その本が手元に出てこないので詳細は不明。ヴァネッサも絵に描いたような「ファタールさん」に思えてしまう。『アルゴールの城』の女性はどうだったかしらん、また読み返さねばならんのか・・・

 作中いくつかの箇所で、語り手は「いま思い返してみると」という形で、これが回想であることを暗示する。いったいいつどこから語っているのか?と疑問に思いながら読み進むのだが、けっきょく語り手が今いる地点には私たちはたどり着けない。ただ彼が、用意された舞台と筋書きのなかへ吸い込まれていく姿を見守ることになる。

 300年来の宿敵国の名が「ファルゲスタン」とあまりにもアレで、(当時は適度にエキゾチックで理解不能ていう感じだったんでしょうが)今読むとかえって生々しくなってしまっている。そういえば、東方の異端やイスラム秘密結社との関わりすら噂されるという「聖ダマスス寺院」というのが出てくるが、なんだかダゴン教ぽい気配が漂ってこちらはなかなかいい感じ。

*1:ガリマールのnrf叢書(ていうの?)みたいな、ベージュのあっさりしたソフトカバーのシリーズだったと思うが定かでない。訳者あとがきによれば、まず1967年に「世界文学全集」に収められ、一度単行本化されたのち、「集英社版世界の文学」に収録されたとある。私が見たのがその単行本なのか。