あの頃、魔法の箱のまわりで


 安孫子竜也・MacFan編集部『もうひとつのMacintosh物語』(毎日コミュニケーションズ) 読了。



 Mac専門誌『MacFan』連載をまとめたもの。連載自体は98年から開始、そのうち本書には99〜01年にかけて掲載された分を再構成・収録してある。「はじめに」に書いてあるように、《この連載は、企業人として、技術者として、表現者としてマック(Macintosh)に深く関わった人たちの知られざる話を紹介しているものです。今だから語ることができる当時の秘話や、この連載で初めて明かされた裏話などが満載されています。》といった内容。すごく最近のMacユーザが読むと、知らないソフト名なんかがいきなり出てきて、ちょっと不親切な感じの箇所もあったかもしれません。それなりに古いファンが読むと、あれこれ懐かしい本。


 昨年、部屋の片づけついでに古いパソコン雑誌を処分しようとめくっていたところ、購読当時は全く気に留めていなかったこの連載記事を見つけた。ちょうどその少し前に、私は某アップル正規サービスプロバイダにMacの修理を依頼したのだけど、その某社と関連会社が取り上げられていたので、急に興味を持ったのだ。しかし『MacFan』はたまにしか購読していなかったので、連載の前後を読むことができなかった。そこで図書館で本書を借りてきた*1


 私が最初のMacを購入したのは93年暮れなので、年数だけはそこそこオールド(笑)ユーザなのだけど、さすがに(キヤノン販売が関わるより以前に)70年代末にアップルを日本に最初に輸入販売していたのは東レ系の会社だったというのは初耳。そして「日本語フォントが2種類しか使えなかった」とか、インターネット未だ存在せずアメリカとの連絡もままならないため、現地でローカライズ作業に当たるべく送り出されたソフトウェア会社の社員2人が、仕事の完了と同時に燃え尽きて(?)辞めてしまう話など、Macを日本に根付かせようとした人々の苦難がエピソードを通して伝わってくる。(ちなみにその(株)誠和システムズは後に倒産、創業社長は行方不明とか。)苦労には大きく分けて2種類あって、ひとつはアップル社をはじめとしてソフト会社も含め、アメリカ企業とのビジネスであることから来るトラブル。そして、商品そのものを日本および日本語に適合させることの技術的な難しさであったと言えそう。初期のMacは日本の高温多湿に全然対応できなくて、夏場に特に故障しがちだったらしい。
 しかしながら、ユーザ同士の情報交換手段が限られていた頃、ショップ店頭が交流の場となり、人のつながりもビジネスチャンスも生まれたというその熱気と楽しさを味わえた人たちを、少しうらやましいと思う。
 個人的には、洗練されたCD-ROMソフトで私にとってのMacのイメージを決定づけた(株)ボイジャーとか(株)オラシオン、“MYST”の(株)インタープログなどの名前を目にすると、あぁあの頃・・・という気分になる。まるちめでぃあ世代だったのね私。


【本の中身と関係ない話】
 ところでこの本、MacFan編集部[編] 安孫子竜也[取材]となっているのだけど、表紙と扉では孫子、背と奥付とあとがきの署名は孫子と表記が異なっている。私の手元にある雑誌では孫子となっているのでこちらが正しいのだろうと思うが、ビーケーワンでは表紙を見て決めているのか孫子で掲載されている(↑この記事の頭に載せたbk1へのリンクは私が文字訂正しました)。ほんとは奥付がその本の正式な出自というか身元を表すんじゃないのかと思うけど。いやそもそもは毎日コミュニケーションズの仕事がユルい!!ということなんですがね。
 ちなみに例によりましてGoogleにお尋ねしてみたところ・・・

  • 孫子竜也での検索結果・・・約37件
  • 孫子竜也での検索結果・・・約96件

あれぇ〜間違ってるらしき方が多いよ?アビコさん、お気の毒。
 

*1:結果的には、私が雑誌で見つけたのは本書の対象となった分よりも少し後に掲載されたものだったらしく、本書には収録されていない。