ねちこく考えないとダメかな

 三土修平靖国問題の原点』(日本評論社) 読了。


 これも図書館本。靖国神社に関する本というのは今まで一冊も読んだことはなくて、この本が出た当時、新聞の書評欄で宮崎哲弥氏が《断言するが、近年上梓された夥しい靖国関連書のなかで、読むに足る内容を備えているのは本書のみである》とまで書いていたので、じゃこれ一冊読めば良いのね?と怠けモノは思ったわけです。タイトルや装幀の感じは無愛想だけど、中身は「私は・・」と書き始められて、けっこう親しみの持てる調子で続いていくので思ったより読みやすい。


 私が本書の中で興味深く読んだ箇所は、第五章「『公』と『私』の日本的構造」で、《上位者の『私』は下位者の『公』》になってしまうのが日本型社会の特徴というところ。主君の「お家の一大事」は、臣下にとっては「おおやけ」の大問題。天皇家の祖先である神様を祀っている神社は、日本人皆が尊ぶべき「公共の宗教」、となってしまう構造である。
 戦後、靖国神社宗教法人という「私」的存在として生き延びることを選んだにも関わらず、「天皇の戦争のために死んだ人を祀るのは公共の営み」という本音がのちのち噴出してくるのを、なんとなく容認してしまうような素地が、日本人の生きてきた社会そして心の中にあるのだということが解き明かされている。

 また、

 神社非宗教論を武器に、神社に祀られている天皇の先祖を中心とした神々への表敬は日本人ならだれでも従わねばならない国民道徳だと言い張って、それと信教の自由とは抵触しないとするこの独特の制度的体系を、狭い意味で「国家神道」と呼ぶ。
 明治憲法によって近代国家的な体裁をいちおうは整えたわが国であったが、その国家体制はこのような表向きは国教を標榜しない事実上の国教を併せ持つことで、初めて存立しえる構造になっていた。その意味で、天皇への忠誠をよりストレートに前面に押し出している1883(明治15)年の軍人勅諭や1890(明治23)年の教育勅語は、この憲法の不可欠の補完物であった。これらこそが、教義なき儀礼にすぎないかのように称していた「国家神道」の、事実上の教典だったと言ってよい。

という箇所も、今の教育基本法のことなど考えると重苦しい気持ちに。 


 一方で、愛媛玉串料訴訟(97年最高裁違憲判決)の上告審に触れた箇所で、

また、「戦没者の霊は戦前以来国家が靖国神社に祀ってきたのだから、慰霊の場は靖国神社以外にはあり得ない」とする考えは、洗*1によればそれ自体ひとつの宗教的信念である。歴史的事実は、靖国神社において「合祀の祭祀儀礼が執行された」ということなのであって、合祀儀礼が執行された結果、戦没者の「霊」が同神社に奉斎されたかどうかということは、宗教上の信仰の次元に属することである。それゆえ、国家機関が公的に支持を与えるべき事柄ではないということになる。(これは、「戦死すれば靖国神社に祀ってやるというのが明治以来の国の約束だったのだから、守らないわけにはいかない」という保守政治家たちの主張に対し、それもひとつの宗教的信念なのだから、国家のなすべき任務として主張できることではないと、釘を刺しているわけである。)

というところ。これは原告勝訴によって既に認められた主張なわけだから本書の新しい見解ではないが、「戦死すれば・・・という国の約束だったのだから」という言い分につい説得されてしまいそうな気持ちになった時には、この理屈を思い出せばいいんだ!と気分がずいぶんスッキリした。


 私自身は、戦争で命を落とした人全員(当然非戦闘員含む)を追悼する公的な場所があるほうがいいし、靖国神社は信じたい人だけが信じる一宗教施設=私的存在として存続すればいいと思っている。
 たしか山折哲雄氏だったと思うが、追悼(「慰霊」だったかな?)という行為がすでに宗教的行為そのものであって、無宗教の追悼(施設)という発想自体が不可能というかナンセンスであるというような意味のことを書いているのを読んだ記憶がある。たしかにそうだろうな(「死んだら即ち全て無」という思想に立てば、追悼ということ自体が成り立たない)とは思うのだけど、それでも無宗教というか特定宗教のかたちを一切まとわない場で死者のことを想う、そんな方法を敢えて何とか考え出してみるのが、とても日本的で日本にふさわしい仕事のような気がする。もし実現したらそれこそ日本文化そのものという場所&行為になるのではないかと。


 【ところで、本書の中身とは関係ないのですが・・】

 この本が気になりつつ読めずにいた昨年のある日、新聞で著者の三土氏の近影を目撃。思い描いていたのとかなり違ったルックス、しかもその装いがすごく気になる。
 ジャケットは袖山が軽くパフってあって、丸みのある衿にはギャザーが。ハート形に刳れたニットの襟元には小ぶりなペンダント、ストレートセミロングの髪・・と、とても自然なのですがフェミニン。「女装」という感じじゃなくて、「ふつうに女ものを着てる」ていう雰囲気です。
 こちら↓のページに載っている写真もさりげなくフェミニンな気が・・
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 経歴もちょっとユニークで、別名義で小説も書いているという人らしい。今後はこの人の言論内容よりも装いのほうに、つい興味が向いてしまいそうなミーハーな私。


 つい先日これ↓も出たけど未見。新書なので更に読みやすく書かれてるかもしれない。でも『靖国問題の原点』も決して読みにくくないです。


*1:注:原告側の意見書を書いた宗教学者、洗建(あらい・けん)