私も属したあの・・・?

 【「私」投影し1年史】朝日新聞(2007/3/8))

 昭和39年、1968年、一九七二 ……。年号をそのままに、あるいは強調した題名の評論書が書店に目立つ。近過去の1年を、著者の体験を交えてつづり、歴史をひもといていく。(...)個人のまなざしから「1年史」を語る試みが、大事件で語られがちな1年1年に新たな光をあててゆく。

 1974年、自ら通っていた小学校で何が起きていたのかーー。明治学院大教授(政治思想史)の原武史さん(44)による「滝山コミューン一九七四」は、東京郊外の大規模団地の小学校で実践された「運動」を、体験した筆者がつづっている。昨年文芸誌「群像」に掲載されて評判をよび、5月、講談社から単行本が刊行される。
 民主的な学校の確立を目指して住民と教師が一体となり、児童に主体性を持たせた「集団づくり」に取り組む。しかし、原さんが「滝山コミューン」と名付けた共同体の「集団主義」は三十数年後まで自身の心に傷を残した。
 記述は当時の教師や同窓生らへの膨大な取材に基づいている。多様な資料を引き、取り組みが一地域の特殊事例でなく、いまでは忘れ去られた教育運動に裏打ちされていたことを明るみに出していく。

 たぶん図書館で借りて読んだ*1原武史さんの著書どれかのあとがきだったと思うのだけど、小学生時代に校庭に集合させられ号令一下、いっせいに体操か何かの決まった動作を繰り返すうちに異様な陶酔感がその場を支配していったことに感じた違和感が、現在の自分の基礎になっている・・・(4月3日追記:正確な引用を次項に改めて記します)というようなことを書いておられた記憶がある。ちがってたらごめんなさい。でも、それを読んでほぼ同学年の私は、「あぁ〜わかるわかる、あの時代の」と勝手に激しく共感すると同時に、この人の書くことはたぶん信用できそうと判断し今日に至るわけです。
 N教組がすごく強かった時代&地域で過ごした私の子供時代も、たえず押しつけられる偽善的な紋切り型、「集団主義」というか「連帯責任」への嫌悪と反発に充ちたものでした。でも今回の『滝山コミューン一九七四』の紹介を読むと、単なる“あの時代のそういう感じ”という話ではなくて、もう少し特定の具体的なバックグラウンドがあったわけですね。それはそれでますます興味深い・・・『群像』に連載されているのは知っていたけど内容は全く確かめていなかったので、単行本化は非常に嬉しいです。


  ※元記事がウェブ上にもありました


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追記:
 いじめと現代社会BLOG - “熱中高校”って、なんだ

 内藤朝雄さんも1962年生まれ、原武史さんと同い年。
 ここに書かれているような恐ろしい経験は私はしておらず、その点では自分の幸運に感謝したくなる。私の通った高校は、気色わるい微温湯に浸かってゆっくりと煮くずれていくような環境でした。

信じられないような話かもしれない。しかし、この東郷方式の教育は、愛知県ではその後つくられた新設校の手本となり、日本中から、そして外国からも参観者が追しよせている。

 この種の教育を受けた世代が、現在では中堅教師として生徒に教える側に立っていることになる。

*1:自分で買って持っているのは文庫・新書だけなの、ごめんなさい。