小ネタ、といったところでしょうか

 先日テレビで【宇都宮市で学校給食費徴収に連帯保証人制を導入】というニュースが流れた時のこと。ワイドショーで街頭インタビューを受けた若いお母さんが、音声では
「そこまでしないといけないのか、ていう感じがします*1
と発音しているように聞こえたのに、画面下に表示された字幕では
「そこまでしないといけないのかといった感じがします」
と改変されているのを目撃した。


 「〜という感じです」でもよさそうなのに「〜といった感じです」と過去形にする言い回しが、最近やや濫用ぎみだなぁと感じる。
 たとえば次のような場面:

  • 今夜あたりが夜桜見物のピークといった感じです。以上、凸凹公園からお送りしました。
  • これから捜査陣が建物の内部に入り、証拠書類などを押収するといった状況です。以上、○×産業本社前からお伝えしました。

 また、私にとって特にカンに触るのは:

  • ・・・・などの事情もありますしね。そういった意味で今回は・・・

この「そういった意味で」を聞くと、むしょうに「どう言ったんだよ!?」と聞き返したくなる。なぜ「そんな/そういう/そのような意味で」ではいかんのかねチミ。という気分になってしまうのだ。

 文法的にはどう呼ぶのか知らないが、過去形による婉曲表現とでもいうか。しかし、「〜でよろしかったでしょうか」がずいぶん槍玉に挙げられるのに比べると、ほとんど問題視されていないように思う。この「〜といった・・・」の使い方自体は以前から見かけるし、「よろしかったでしょうか」のように明らかに異様な感じを与えるものでもないからだろう。
 ただ、そもそもどんな場合に婉曲表現として使われているのか考えてみると、

(1)バーゲン会場にはお買い得品を求める客が殺到し、あたかも女たちの戦場といった様相だ。
(2)裁縫箱には、針山、糸切り鋏、指ぬき、糸通し、ヘラといった裁縫道具がこまごまと収められていたものです。

 などを思いつく。(1)は、やや極端な比喩や誇張を含む形容に対して、[そこまで言うと大げさなのは分かってるけど、あえて言うならってことで。あくまでも喩えです]というエクスキューズの役割を果たす。また(2)では、例示・列挙のあとに付け加えることで、[例として幾つか挙げてみましたけど、ここに書いたものに厳密に限るわけではありませんよ]という留保の意味を持たせている。

 このように、いま言ったことの断定的な響きを和らげてある程度のゆとりを持たせる、それが「過去形による婉曲表現」ではないかしらと思う。それが、本来なら(自分が夜桜見物のピークと感じたという単なる事実、あるいは自分が現場で取材の結果そのように判断した捜査の進展状況を述べるのだから)「〜という感じ/状況です」と言ってもいいはずの場面にまで拡大侵食してきた。
 「〜でよろしかったでしょうか」問題についても指摘されていたような気がするが、ていねいに聞こえる(<私はそうは思わないけど)ということと同時に、やはりある種の責任回避をしたい、自分の発言をなんとか最大限にボヤかしたいという欲求が、こういう言葉遣いになって現れているのではないだろうか。

 冒頭に例を挙げたインタビューでは、応答していた女性はべつにオーバーな喩え話をしているわけでもなく、自分が実際感じたことをシンプルかつストレートに発言しているだけである。だから本人が「〜ていう感じがします」と続けたのは極めて適切な言い回しのはずなのに、テレビ関係者の誰かがよけいな&無教養なおせっかいをしたことで「〜といった感じがします」に改変されてしまったのは、画面に登場した当の女性にとってちょっと気の毒な感じがした。
 

*1:「気がします」だったかもしれないが、とっさのことだったので確実ではない。