再生する着物

着物あとさき
青木 玉著 / 野中 昭夫写真
新潮社 (2006.5)


 幸田文さんが愛用した着物や、入り用になった時のためにと準備してあった反物が、娘である青木玉さんの手元にたくさん残されていた。幸田さんが亡くなって十数年、やっとそれらを何とかして着てみようと思い立った青木さん。古くなったり年代に合わない着物を、青木玉さん自身そして青木さんの長女奈緒さんが着られるように、プロの知恵を借り、さまざまな創意工夫で甦らせていく。そして合間には湯のし屋さんや丹後縮緬の産地などの訪問記も。
 着物のリメイクに京都の職人さん達の技が活用されるのですが、幸田・青木家も東京の人たちなのでセンスはやはり江戸好み、というか私にとってはやや地味。堀越希実子さんの着物に比べると、「うゎーん、私もコレ欲すぃ〜」というような感じはちょっと少ないのだが、もしおばあちゃんがこんな着物や白生地を残していてくれたら、さて私ならどうしようかな・・・と想像を膨らませるのは楽しい。

 不思議だったのが、幸田文が誂えた梅柄の訪問着が、二寸も丈長く仕立て上がってきたため、とうとう一度も着ないまま眠っていたという話。それに色をかけて、奈緒さん向きの若い着物に作りかえるのだが、いったい誂えでしかも絵羽物ならばそもそも着る人の丈に合わせて柄の配置も考えてから染めるはずなのに、寸法間違いなどということがあるのかしら?と驚いた(じつは私も一度だけ、思いもよらないような仕立て間違いをされたことがあるけれど、それとは全くスケールが違う)。こういう「不具合だった話」ていうのはあまり表に出ないだけに、申し訳ないけど興味津々(^^;)ゞ。


 それと、青木さんが聞いた話として、《仕立屋さんに仕事を出すとき、年寄り向きや男物ばかりでは具合が悪い。きれいな女向きのものを一緒に出さないと捗(はか)がゆかないそうだ》と書いておられるのが面白い。たとえ長襦袢であっても、色のきれいなものが一枚入っていると仕立屋さんも気合いが入るらしいのだ。
 リフォームというと、これまでは「着られなくなった若い頃の着物を、色をかけて年相応に地味に・・・」という例が比較的多かったのではないかと思うが、おばあちゃんの着物などが眠っているおうちでは、なるべく若向きの染め返しを頼んだりなさると染屋さんも張り切ってくれるのではないかしら。うちにはそれに見合うような上等の(良い生地の)着物がないのでホントに残念です・・・。


 「あとがき」のなかで、幸田文さんの小説『きもの』が未完に終わった経緯が語られています。いったん『きもの』を中断していた時期に、いろいろな偶然が重なって他のテーマに注力することとなり、そうこうしているうちに世の中で着物というものの立場が変わり、作家本人の気持ちも変わってしまったという事情があったらしい。《着物の楽しさ、美しさ、面白さをいくら書いたとしても、実際着る人がなければ、話はそれまでじゃないか。》と言う作家、そして《誰も読まない物を書くことを母に求める悲しさ》から、執筆を続けるよう説得できなかったという娘の青木さんの言葉が痛々しい。現在のように(形はどうあれ)新しい世代の人に再び着物が見直される時が来ると知ったら、幸田さんはどう思われたのだろうなぁ。