物神(not monogamy)

 仕事終了後、猛ダッシュで駆けつけても最初の1/3ほど聴けなかったのがちょっと残念。一般的にロボットや人形には「リアルすぎると妙に人間ぽくて不気味」という地点があり、そこを回避するものあり、また敢えて不気味をめざした創造活動あり、という辺りから話が展開されているらしかった。
 面白かったのは、スーパードルフィーについて。メーカー側自身も顧客(オーナー)に対し「これはもうひとりのあなた自身」というふうに、人形に対する自己投影を奨励するようなマーケティング戦略をとっており、やや宗教がかってすらみえるという指摘。そういえばスーパードルフィーのオーナーがブログなどで「○○(人形の名前)をおむかえしました」なんて書いているのを時々みかけるし、スーパードルフィーはどこか神聖なもの・尊いもののように語られるのがお作法なのでしょうか。少なくとも、自分と全く対等な存在ではないと捉えられているように思える。自己投影といいながら必ずしもオーナーの容姿に似せてあるわけでもないドルフィーはしかし、何やら尊いものが宿っているからこそ「似てなくてもいい」のかもしれない。そこに投影されているのは自分そのものではないかもしれないが、おそらく自分と関わりがあるはずの何か、なのだ。
 ひとがたをしたものには何かが宿るという感覚は日本人だけとはいえなくても、わりと日本的なもののような気がする。会場に入った時ちょうど日米ラブドール比較みたいな話の途中だった。アメリカのそれは即物的なまでにじっさいの人体そっくりに作ってあって、重量も60kgぐらいあるのに対し、日本のは「あまり人間ぽいと気持ち悪い」という(ユーザーの?)声もあって、あえてそこまで実物ぽくは作ってないし重量も20kgぐらいらしい。どこまで一般化できる話か解らないが、アメリカ人の考えるドールは何かが投影されたり宿ったりすることのないもので、だからひたすら人間ソックリに作ることに専念できるしまたひたすら人体を再現するしかないのかもしれない。
 「男身体」のドール(があるのか)についてはあまり言及されず、というよりそもそも数が少なすぎて語りようがないのか。シモン氏の球体関節人形には少年の姿のもあるけどあれは果たして「男」なのかどうか微妙だし…
 最終回(6/26)の「サイバーブッダ」は韓国の新仏教(?)の話らしくて、面白そう。1&2回めも関心はあったけど聴きに行けず惜しい。