死ぬことも眠ることも忘れることもできず

■松井智惠展「寓意の入れもの ー AN ALLEGORICAL VESSEL」(信濃橋画廊
 一貫したテーマのシリーズとして続けられている制作のようなので、今回だけではよけいに意図が解りにくかったのかも。水と火のあいだに鏡(あるいは水銀?)を思わせる映像を並べたビデオ作品に興味を感じた。会場の画廊は陶磁器会館という地味なビルの中に点在するいくつかの部屋を使っていて、他の作家の展示も見て回ったがなんだか少し不思議な空間だった。


「塩田千春 精神の呼吸」展(国立国際美術館)

 松井智惠のドローイングが、経血を連想させる暗い赤で不定形なかたちを描いて、まるで生まれ損ねたものみたいに見えたのと対照的に、塩田千春の作品「大陸を越えて」では、靴の一つ一つが動脈血を運んでいるような鮮やかな赤い毛糸でつなぎとめられ、"終わり"にされたのに未だ生きているものたちが床いちめんでまだピクピクしているようだった。
 衝撃的だったのはやはり泥に染まった巨大なドレスの三姉妹(?)「After That - 皮膚からの記憶」が、黒い檻に絡めとられた鉄のベッド群「眠っている間に」を見おろしている恰好になったインスタレーション。なにか分からないがとても言い表せないような恐ろしいことがここで起こったのだ…と思わせる緊迫感があった。身体に由来しながらそれをはるかに超えた大きさにひろがるところが、この人の作品の面白さだろう。
 じつは、何年か前に新聞で塩田さんの「皮膚からの記憶」を初めて見たとき、ずっと前に展覧会でみたマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品(の怖さ)を想い出したのだった。そのことを今ここに書こうとしてアバカノヴィッチの名前で検索していたところ、思いがけないページに遭遇した。塩田さんはじっさいアバカノヴィッチが好きで、彼女のもとで学ぼうと考えたものの(いわゆる運命のいたずらによって)果たせなかったということらしい。納得。