鸚鵡には始めも終わりもない

梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』(角川文庫)読了。

村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)

村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)

 今から100年ほど前、ヨーロッパとアジアが向かい合うイスタンブールの地で、考古学の研究に取り組む日本人の村田と、同宿の・或いはふと行き会った人々との交流を描いている。異なる宗教や文化、習慣や考え方を持つ異国人と混じって暮らすなかで、村田は自分の生まれ育った環境について振り返ることにもなる。
 彼は子供のころお稲荷さんに悪戯をしてひどい目にあったおぼえがあり、「爾来こういう信心の類には近づかないことにしていた」。しかしイスタンブールで住むことになった部屋でたびたび怪異?現象を体験して、彼の合理精神は揺さぶられる。
 最後に村田は切実に願う、「思いの集積が物に宿るとすれば」……歴史に押し流されていく個人の運命のはかなさや悲しみ、わずかではあっても他者と何かを共有した貴重な時間に対する愛惜があればこそ、「物」にすら命があるような感覚は生じてくる。汎神的または物神的な、土着「信仰」とすらいえない何かが、堅固な一神教にとり囲まれたような場所を通してそっと肯定される。長い戦争と激動の時代を前にしてそれはあまりに小さくて弱いが、彼が見いだした世界との取りなしであるように思えた。
 小さくてすぐ読めそうに思ったこの本*1、また読み返さないと。それにしても鸚鵡。彼/彼女はどこから来てどこへ行くのか。彼/彼女には世界の初めからの物語が全て書き込まれているのではないか。

*1:エッセイを除けば初梨木。