さらに驚愕の結末(個人的に)

 深夜に民放テレビでやってたのを観た。ケヴィン・スペイシー主演作ではあるけどテーマがいかにも重苦しいし、ある程度オチが推測できたのでなおさら積極的に観ようとは思えずにいたのだが、吹替版だったので刺しゅうしながら流し見るのにいいかと思って*1
 それに、ものすごく助かるサイト『映画の森てんこ森』にて、詳細なプロットを読ませていただいて、かなり重要の部分がいくつかカットされてるのを知り、プチ愕然としてしまった。これじゃ意味が分からないところがあっても、あながち私の頭の悪さだけのせいとも言えないような…やはりこういうストーリー性の大切な映画をテレビ放映カット版で観るのは考えもの。ま、どちらにせよこの結末は全く釈然としませんね。デビッド・ゲイルの選択には、崇高さよりも人生を諦めた哀しさを感じさせるし、死刑反対派が生命を愚弄するような方法を採用してしまうという筋書きはグロテスクである以上に「それじゃなぜこんな人たちがそもそも死刑に反対していたんだろう」という疑問すら思い浮かんでしまう*2。やはりちょっと無理のあるお話だったという感じ。


 さて、このあとテレビ番組をみていたら、さらに思わぬところへつながる↓

 国を挙げて戦争に突き進んでいた昭和十二年に、きっぱり「戦争反対」と発言したことから罪に問われたうえに、宗派からも厳しく処分された真宗大谷派の僧侶、竹中彰元を紹介する番組。彰元のストレートな発言もさることながら、地域の門徒たちが提出した嘆願書の中に

(彰元の言動について)非違なきに非違ありとせんとするが如き輩あるが為に老師の晩年を傷つくる如きは仏も菩薩も許し玉はざる

という強烈な批判の文言があるのに驚いた。彰元の言っていることは間違ってないと断言しているわけだから、これを出すのも相当勇気が必要だったにちがいない。
 戦時中の真宗大谷派の僧侶集団が、ほんらい殺生を固く戒めなければならないのにいやおうなく戦争協力に傾いていく際には、「一殺多生(多くを助け生かすため、少しの殺生はやむを得ない)」なることばで戦争を正当化し自らを納得させたのだという。これ、『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』作戦(?)の論理に似てるやん。いや、私は『デビッド・ゲイル』を誤読してるかもしれないけど、少なくともあの厭な感じは結局そこから来てる。

*1:しかしその吹替が主演ふたりともイマイチだった気が。ケイト・ウィンスレットの声は女子高生みたいでまともな記者らしい重みが足りないし、ケヴィン・スペイシーのほうも何だか甘すぎて気色悪かったです

*2:そうそう、ローラ・リニーはいかにもそれっぽい「主義の人」ていう雰囲気を漂わせていて適役だと思ったけれど、デビッド・ゲイルと死刑反対がどうも最初からしっくり来ないのだった。