祭りのその後

 この頃にテレビやら新聞で知ったのと、同じお祭りのことと思われる記述に出会ったのでメモ。
 (今福龍太「喧騒の小島」(岩波書店『図書』715号/2008年10月)より、太字強調は引用者。) 

 私が最初に「モーロ人とキリスト教徒」の祝祭を観たのは、三〇年近く前、スペイン南部アリカンテ県のアルコイの町である。イスラム教徒による征服を数百年かけてキリスト教の王国の手に奪回したイベリア半島では、それぞれのイスラム教徒駆逐の時代に合わせて、各地でモーロ人追放の歴史的営為を記念する祭りが生まれていった。その形式は、町全体を舞台にする模擬戦争のかたちをとることが多く、アルコイの町でも住民が二手に分かれての三日三晩の戦いの後、白馬に乗った聖ヤコブが登場して町をキリスト教徒の手に奪回する、という大掛かりな祝祭劇として行われていた。
 このイベリア半島の中世期から近世の始まりにかけて各地で生まれた「モーロ人とキリスト教徒」Moros y cristianos の祝祭は、スペインのメキシコ征服によって新大陸に移植されていった。(-略-)
 ところが不思議なことに、メキシコのインディオたちはこの二項対立的な祝祭劇の枠組みのなかから、モーロ人だけを取りだして彼らの民俗的な踊りのレパートリーに組み込んでいった。ヨーロッパにとっての他者を示す記号でもあった「モーロ人」moros という符牒が、おなじ西欧的他者でしかありえないインディオ自身の自己意識の中に流れ込み、その邪悪さ、悪魔としての象徴性は、インディオのより広大な無意識の海のなかに溶解していった。こうして、他者でもあり、悪魔でもあり、同時に道化でもあり、英雄でもあるような、奇妙に多義的なモーロ人像がインディオの祝祭に現れるようになる。