ジレンマ2つ

 たまたま同じ日の新聞に、同じような話題があったので並べてメモ。

 「(...)現代の戦争は当事者双方の『痛み分け』でしか終わらない場合が多い。その過程で国際的な停戦監視団や暫定統治がどうしても必要になる。」
 (「痛み分け」とは。)
 「1990年代のシエラレオネの内戦は、反政府勢力『革命統一戦線』(RUF)が行った虐殺や人権侵害などの戦争犯罪を一切不問にするという『正義の犠牲』の下で終結した。戦いを終わらせるのは結局、取引であるのが国際紛争の現実。『正義か平和』かという問題は確かに重いが、短期間に軍事力で『悪』を一掃してしまうような例外的な場合を除き、現代の戦争の終結には正義をめぐる妥協が必要。アフガンで米国はテロリストを完全に駆逐することが正義だと言い、タリバンは占領軍と戦い続けることが正義と言っている。しかし、どこかで譲らない限り、戦争は終わらない。アフガン国会は一昨年、過去の戦争犯罪を追及しないという恩赦法を可決している。これも交渉の土台になりうる」

 国際刑事裁判所ICC)が4日、発行に踏み切った「大統領への逮捕状」。国際社会は人道犯罪を見過ごさない、という強いメッセージを放った。しかし、舞台裏ではICCを支持する国と警戒する国の間で政治的な綱引きがあった。「正義と平和の両立」の難しさも浮かびあがる。
 (...)バシル氏の訴追とダルフール和平が表裏の関係にあることが事態を複雑にしている。
 ICC非加盟のスーダンの事件をICCに付託する安保理決議が採択されたのは05年。当時、責任追及を求める国際世論が高まる一方で国連による和平はまだ進んでおらず、人道犯罪を裁く「正義」が優先された。
 しかしその後、潘基文事務総長がバシル氏にダルフールへの平和維持活動(PKO)部隊の受け入れを認めさせるなど和平に進展があり、国連にとってスーダン政府の協力が不可欠になった。こうした変化の中、PKO部隊の展開で協力を求めなければならないバシル氏に逮捕状を突きつけることになった。(...)潘事務総長にとって「容疑者」となったバシル氏と対話を続けることは難しい。正義の追求の結果、避難民の苦しい生活が逆に長引く、という皮肉な状況が生まれかねない。

 伊勢崎氏のほうは現場の人らしくパキっと言い切っている感じ。「とりあえずさきに和平」というのはたしかにそうかもしれないが、「不問」に付されたあれこれが、けっきょく誰か一方だけの胸にいつまでもわだかまり続けるのではと思うと辛い。カンボジアの特別法廷でも似たようなことが問題になっていたと思う。