ヴァンサン・ペレーズ影薄し

輝きの海 [DVD]

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原作はジョセフ・コンラッドの短編小説「エイミー・フォスター」

Amy Foster

Amy Foster

この洋書ペーパーバックの表紙絵はだいぶ“狂女”っぽくて、映画のイメージとはかけ離れている。レイチェル・ワイズの美貌は狂女でも魔女でもない強靱な透明さ。



Joseph Conrad←イギリス人と思っていたらウクライナの人だった。

 はるか昔に録画してほったらかしてあった『ゴッドandモンスター』を観ようと、ビデオテープを探し出してみたら、その前にこれが入っていた。偶然*1こっちもイアン・マッケラン出演、それにキャシー・ベイツも出ているというので、ついでにこれも観ることにした。さいしょ「あれ、エミリー・ワトソン出てるんじゃなかったの?」と思ったのは恥ずかしいのでナイショ。(<それは『奇跡の海』)

 全体の印象を下品にまとめると、『ピアノ・レッスン』と『嵐が丘』の遠い親戚みたいな感じ。ヒロインのエイミーはいわゆる自閉症のような傾向があるのか、人とほとんど口をきかず、海岸の洞窟を秘密の家として、拾い集めた漂着物を飾って奇妙な神殿を築いている。
 移民を載せた船が難破、おおぜいの遺体が岸に打ち寄せられるなかで、ただ一人生存していた異国の男ヤンコと、村で除け者にされているエイミーの恋愛は、当然さいしょのうちはほとんど言葉を介さない状態から始まるのだが、高熱に苦しむヤンコが母国語で口走った「水を飲ませてくれ」というただそれだけの要求が通じなかった(エイミーは「英語で言って!」と叫ぶしかない)ばかりに悲劇が起きたかのような結末はちょっと納得いかない。けっきょくヤンコが英語をおべんきょうしたから成立していたにすぎなかったのか、この関係は?言葉がいまひとつ通じない者どうしだからこそ、何かが通じていたと思っていたのだけど。ここでエイミーが彼の要求を理解できなかったのは、むしろエイミーの融通というか機転の利かなさ、(同時に赤児が泣き出してしまった際の)パニックぶりからして、やはりエイミーの軽い“障害”のせいと考えたほうが筋が通りそうに見えたが…。ヤンコは、ふたりの間に生まれた息子には自分の言葉(ロシア語)をしゃべってほしいが、そうすると息子までが除け者にされ憎まれるだろう、という葛藤を語る。最大の断絶は(母国語と外国語という)言葉の上での断絶なのだろうか、そのへんは原作はどんな感じなのか気になる*2


 流れ着いた異人との異文化交流?にはけっこう熱心で、村人の排他的な態度を非難してもみせる開明派のケネディ医師が、ことエイミー(身近な共同体内の異分子、しかも「女」である)に関してはあからさまに忌避感を見せてちょっと厭らしいキャラクター。
 キャシー・ベイツ演じるミス・スウォッファー*3は、そんなケネディ医師がかつて伝染病で妻子を亡くした悲嘆を心の奥深く隠していると指摘する。ケネディがエイミーにというよりも女性に冷淡なのは、そんな心の傷のせいではないかという暗示だろうが、なにせ演じているのがマッケラン翁なので、観ているこちらは「いやいやそうではあるまいそうではあるまい」と邪念が充満してきてしまう。それはともかく、英語を教えることで父親的にヤンコを導くケネディの役割に、「ろくに言葉もしゃべらないくせに」ヤンコと深く通じ合っているエイミーが割り込んできたことへの憎悪と嫉妬はきっとある(エイミーの出自や異様な振舞いに対する最初からの偏見に加えて)。でも最後にはエイミーは、言葉の通じなさに復讐された恰好になっている。


 Wikipediaによれば3度目の映画化とのことで、映像化したくなる小説らしい。コンウォール地方の荒涼とした風景、音楽も印象的だった。

*1:かどうかは不明、マッケラン特集というつもりで続けて録画したのかも

*2:さっき岩波文庫の解説だけ“立ち眺め”してきたら、この映画にも言及してあって「原作とだいぶ違う」だってさ。ガッカリ

*3:そういえば彼女も“親切な老嬢”だわ!とっても19世紀的!!それと彼女のその後も気になるのですが。