カゼのなかの記憶

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77年にはソ連風邪が流行した。患者から分離されたウイルスは、50年ごろまであったスペイン風邪の「子孫」のウイルスと区別がつかなかった。

ウイルスは常に変化するはずで「保存されていたウイルスが持ち出され、広がったのかもしれない」という憶測が研究者の間で流れた。

 1977年のソ連風邪といえば、ちょうど高校受験の年だった私もかかってしまった「思い出の流感」である。


 某私立高校の入試当日の朝、駅に向かう道を歩いているとちゅう、通勤通学の人通りのまっただ中で突然、まさにアウトブレイクな勢いで鼻血が噴き出し、けっきょくその日は受験を断念した*1という、いたって波風の少ない私の人生において比較的ドラマチックな絵ヅラが出現した瞬間だ。

 インフルエンザらしき重症の「カゼ」をひいたことはこれを含めても3,4回ぐらいしか記憶になく、じつはこの時も、鼻を押さえながら帰宅して以降はたしてどんな症状だったのか全く憶えていない。じっさいの症状・しんどさを考えるとのちに30代になってから数日寝込んだ時のほうが辛かったようにも思うのだが、「ソ連風邪」という印象に残る*2ネーミングのおかげもあって、「あのときの駅前通りで鼻血出して受験中止したソ連風邪」として頭に焼きつけられ、自分のインフルエンザ体験としては最大のものということになってしまっている。


 それにしても「保存されていたウイルスが持ち出され」って、そんな陰謀チックな説があったとは…

*1:「ちょっとお試し受験」のつもりの学校だったのは不幸中の幸いでした。受験というか合格する以外なかった府立高校の入試日だったらと思うと恐ろしい。

*2:寒風吹きすさぶ暗鬱な灰色イメージ