こどもにはにがすぎた

ローズマリ・サトクリフ『ともしびをかかげて』(岩波書店) 
(数十年ぶりに再)読了。



 これまでの2作『第九軍団のワシ』『銀の枝』は、いずれも年若い主人公の運命がふとしたことから少しずつ変転し、やがて大きな歴史の動乱へ関わっていく話だった。それに比べて、この『ともしびをかかげて』では時代はすでに激動のふちに接していて、主人公に許されたおだやかな時間は巻頭のごくわずかである。すぐに過酷な運命が彼アクイラ(全2作の主人公たちの子孫)を押し流していく。
 また前2作は、青年期の短い冒険を描いて、最後には明るい前途も感じさせる終わりかただったのに対して、アクイラの物語は、彼の屈託のない青年というより少年期の終わりといってよい時期から始まって、息子が成長して初陣に立つまでの、およそ一人の男の半生にわたる長い時間を扱っている。結末に至ってすでに中年のアクイラがたどりつくのは、ごく若い時に負ったほとんど致命的な心身の傷がかろうじて癒えたのかもしれないという地点である。
 アクイラを最も苦しめた事件は、妹のフラビアがサクソン人に連れ去られ、数年後に再会した時には敵であったはずのサクソンの野蛮人の妻となって子まで為していたことである。アクイラは一緒に逃げようとフラビアを説得するが、フラビアはサクソン人の居住地に留まることを選ぶ。それ以来、女性のことに関わるのを避けてきたアクイラは、アンブロシウス王に命じられるまま、ブリテンの地方豪族の娘を娶るのだが、互いに注意深く愛情を拒み続けるようなこの夫婦の関係は、読んでいて辛い。子どもの私が読むにはかなりビターである。

 そんなわけで、私が『ともしびをかかげて』を子どものころに(今もアタマの中は子どもですが)、しかも初めてのサトクリフ作品として読んだのは、いろんな意味であまりハッピーな出会いではなかったかもしれない。(苦すぎ&荷が過ぎて。)それだけに、今回読み返すことで少しおさまりが付いた気がして、ほんとうに良かった。