おそろしや双面の女子高生

佐々木丸美『崖の館』(創元推理文庫) 読了。

崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)


 以前にも書いたことですが、この著者が作品を発表していた期間=1975〜84年というのはピッタリ私の中・高・大学時代と重なる。それを思うと、佐々木丸美という名前に全く記憶がないというのがますます不思議でならない。表紙をみただけで、<少女マンガ><メルヘン>と思って手にも取らなかったのだろうか。味戸ケイコの表紙画*1というのは他にも見る機会が多かったと思うので、佐々木丸美の本を見たという確証にはならない。やはり、隔絶された館にたどり着く資格をそなえた者にしか、その本は、たとえ店頭に並んでいたとしても見えなかったのよ、そうに違いないわ(語尾注意)

 館に集うイトコたちの中でいちばん年下の女子高生で、その無邪気・無知ぶりをいつも苦笑まじりに優しく見守られる少しおっちょこちょいな可愛い妹、という役回りの「私」(=涼子)。他の登場人物との会話や行動の中では、おおよそその通りのキャラクター*2を演じているようなのに、独白に切り替わると、しだいに亡くなった従姉の千波が憑依したかのごとく、白石加代子やら岸田今日子の語り口調をも連想しかねないようなおどろおどろしい情念を繰り出し始める、その落差がすごい。落差といえば、作中に出てくる飲食物のつましさと、登場人物の誰もがくちぐちに語る人生論・芸術論の朗々と丈高い調子との落差も、いかにも<戦後>という感じがする。本作が出版された時代そのものはそれとして、おそらくそこに投影されている著者自身の教養や文学観はもっと古い時代の事物から練り上げられたものだろう。感性の根っこには演歌が流れてそうな…そして今ほどいろんな物事の移り変わる速度が目まぐるしくなかった70年代にこれを読んでいたら、私もそれをさほど「古くさい」と思わなかったかもしれない。たぶん当時の私の周囲も、そういう<戦後>っぽい物や考え方で出来上がっていただろうから。

 今回じっさいにこれを読むまでは、「あぁ、なぜ十代の頃にこれを読まなかったの!バカ、バカ。私のバカ」と大後悔することになったらどうしよう、とひそかに心配していたのだが、幸か不幸か、そのような心境にまでは至らなかった。ただ「もしリアルタイムで読んでいたらどう思っただろう?」という興味は感じる。もう当時の自分がどのような人間だったかカケラも思い出せないので、想像がつかないのだが…
 この物語でクローズアップされる人間の思いや苦しみ、犯罪の動機、どれも(少なくとも今の)私が好んだり興味を持ったりする類のものではなかったけれど、異様にうねる文章にこもる激しさをみると、これに惹かれる人たちがおおぜいいるのも何となくわかるような気もする。ぜひ読み続けたいという気はしないが、続編の『水に描かれた館』が本屋さんにあったらたぶん手に取ってみると思う。そこからがもしかしたら地獄巡りの道程なのだろうか…ひぇー。

*1:↑この文庫版は違います。私はこの表紙が好き。

*2:「哲文くん」との組合せ、トーンは違うんだけど、眼裏に浮かぶのは「チッチとサリー」の構図