積年の遅読

百年の孤独

百年の孤独

 新潮社は後に《ガルシア=マルケス全小説》というシリーズを出したので、そのせいでしょうか10年前に出たこの改訳新装版は、すでに版元品切れの模様。カバー装画はこちらのほうが好きなので、買っといて良かったー(やや負け惜しみ)。


 昔、たまたま読んだエッセイだったかインタビューだったかで、泣く子も黙る生T耕作御大が、ラテンアメリカ文学が流行しているけれども自分は関心がない、という文脈で「泥臭いところが田舎者の口には合うのでしょう」みたいな憎まれ口を叩いていた。
 …という話を、教室で同級生のS君にしたら、「えーほんと?生T耕作がそんなこと言ってるの?」と言って、すごくよく通るバリトンでわっははー!と大笑いしたので、とたんに私は自分の記憶に自信がなくなって「なんか、確か、そんなこと言ってたよー…」と返事したような気がする。S君はいまでは立派なフランス文学者で、そして私は未だにラテンアメリカ文学といわれるものは、ボルヘスほんの少々とその他1冊ぐらいしか読んだことがない(憶えてる範囲では)。


 私の苦手意識は、多少は生T耕作発言(それも典拠はあいまい)に影響されたものだけど、なにも生T耕作みたいに洗練された「みやこびと」を自認しているわけではなく、ただなんとなく、土着的→エネルギッシュで暑苦しくて長大かつ混沌→読むのがしんどい、という連想で、自分の読書体力には不向きな気がしたからだ。
 S君に笑われた時から早くも四半世紀超(笑)、ラテンアメリカ文学はますます多くの人に読まれ確固たる地位を築き、私だけが世界から置き去りという気分がいっそう膨らんできた(これはラテアメ文学に限らないけど)。読書体力&脳力を考えればむしろ更に衰弱していると言える現在、こんなことなら若いうちに読んでおけば良かったと思わなくもない。読み通せるのか、楽しめるのか、あんまり良い予感はしないんだけど、「面白い」「とにかく読んで」と(ネットの向こうからも)すすめてくれたいろんな人のことを思い出しつつ、やっと手に取ってみる族長の秋、ではなくどくしょの秋なのです。