東京のセンス、江戸の含羞

 「うっかり重複して買ってしまったから」と言って、友人がくれた本。

新編 東京繁昌記 (岩波文庫)

新編 東京繁昌記 (岩波文庫)


 著者は明治二十六(1893)年生れの画家であり名随筆家でもあった。昭和三十年の東京を、過ぎし日々の姿を懐かしみつつも好奇心旺盛に観察している。本業が絵描きさんなのだから当然挿絵というかスケッチがいっぱい入っているのですが:

  


 絵のタッチや、関心の向けどころから、なんとなく『すゞしろ日記』の山口晃画伯を連想した。とくに右の、(実際は4本なのに)見る方向によって1本に見えたり3本に見えたりする「オバケ煙突」をいやに丁寧に絵解きしているところなど。


 “旧江戸城”の俯瞰図のところで、ヘリコプターに乗って見ないかと誘われたが結局セスナから撮影した写真を元に描いたという注釈をつけ、さらに《なぜそんな「ヘリコプター」であるとか「セスナ」であるとか、もの欲しそうなことを記すかというと》と、(昭和三十年時点での)最新ぽいことを書いてしまった照れくささ?を表明。そして、明治七年の『東京新繁昌記』で服部誠一が、登場したばかりの人力車のスピードをやや大げさに表現したくだりが《今読むと滑稽に感じるけれども、「明治七年」の東京の実体を思えば、何かシュンとした、真摯なものを覚える。僕の「ヘリコプター」も後にそういう「滑稽」になれば良いと思って。》とつけくわえている。現在から過去を思えば、おそらく未来のいつかから見た現在も、おなじように色変わりして見えるだろうという客観的な視点と、いつかは古びる今を書き記すことそのものに対する含羞が、都会人らしい一節に思える。

 (「鯰」って、官吏のことを指す隠語なんだって。初めて聞いた)