もともと壊れていた世界

 ドン・デリーロ『墜ちてゆく男』読了(図書館で借りた)。

墜ちてゆく男

墜ちてゆく男

 けっこうボリュームがある本だけど、思ったより楽に読み通せた。あらかじめ思い描いた範囲を出ない内容だったということでもある…あくまでインテリ中産階級の苦悩から生え出たという感じで。
 あのツイン・タワーのオフィスに勤めていて、9.11テロを経験し辛くも命拾いした主人公と、その前から別居状態だった妻子、妻の母親とそのボーイフレンド、主人公が混乱の現場から無意識に持ち帰ってしまったスーツケースの、持ち主である女性。それらの人々の、会話しているようなのに噛みあわずすれちがい続けている会話。《あの日、世界が壊れた。》的なお話を想像してしまうが、事件が起きる前から、みんな「確かな世界」からずり落ち始めていたことがわかる。

 妻は、認知症を患う人々のグループを対象に、記憶を語ったり書き留めたりしてもらうことによるセラピーのようなものを実施している。語ることの癒し効果のようなものが期待されているのだろうが、けっきょく断片のまま投げ出されたような記憶や体験からは、逆に、語らせてしまうことの残酷さや、寒々しさが響いてくるような気がした。

 ところで、ツインタワーに突っ込んだテロリストたちの視点から書かれた断章がいくつか挟み込まれているのが「余分な感じがする」という感想をどこかで見かけた。小説の構成として余分、かどうかは私にはよく分からないけれど、語らずに行動してしまった人たちのほうのことを強引に「語って」しまっているような印象は受けた。むしろ、テロリスト側の「事実」としてではなく、主人公の側がああいうふうに整理・構成することで現実を受け入れたという意味なのかな、あの部分は。次元の異なることを無理やり同じ平面に押さえつけるみたいにして。とすれば、ある男の墜落パフォーマンス(?)は、その対極にあるものとして配されているのかもしれない。