強くて美しい女たちの物語


 夫に先立たれ、かつて目指した女優の道で名を成すべく娘スージーとともにニューヨークへ出てきた白人女性のローラ。一見、白人のように見える娘サラ=ジェーンに疎まれながらも、敬虔で慈愛に満ちた生活を貫く黒人女性アニー。偶然出会ったふたりのシングルマザーの人生が重なり合う。


 女優として富と名声を手にしたのはローラのはずなのに、なぜか彼女の華やかな舞台や演技姿というのは印象に残らず。この映画のなかで最も華麗な場面のひとつは、黒人の母を拒否して出奔したサラ=ジェーンが、豊満な身体を誇示するように歌い踊るシーン。娘を心配した母アニーが探し当てたロサンジェルスのグランドキャバレー(?)の、大がかりな機械仕掛けの舞台上で躍動するサラ=ジェーンの姿は、いわば“悪役”である彼女の印象をまた別のものに塗りかえてしまうような迫力をもっている。だからこそ、すぐあとに来る母と娘の苦い和解と別れのシーンがよけいに胸を打つ。


 そして何といっても一番のスペクタクルは、半生をローラのお手伝い役に捧げたアニーが、これだけは望み通りにと言いのこした、自分の葬儀の場面だ。
 その前に、アニーがローラに「私にも友人はおおぜいいるんですよ。教会にも通っていますから」といったことを語り、アニーにも個人生活があるのだということに今初めて気づいたみたいにローラが意外そうな様子をみせる場面がある。じっさい、ローラの成功につれて住まいが立派になりこそすれ、アニーはその生活のほとんどをローラの家の台所や居間といった限られた空間で過ごしているように描かれている。
 しかし、最後にアニー自身のことばを裏づけるように、黒人教会に集うおおぜいの信者たちが参列する壮麗な葬列の場面が展開される(マヘリア・ジャクソンのゴスペル付きですよ!)。そこにはローラをとりたてたプロデューサーはじめ、白人(のおそらく名士たち)も参列して、天国そのものが到来したように全てを包み込んだ、非現実的なほど劇的な儀式に見える。それが、いちばん小さな世界で生きていたはずのアニーが自ら脚本を書き演出した、一世一代の「晴れ舞台」としての葬儀なのだ。もっともみごとに演じきったのは誰だったのか、女優であるローラにとって皮肉なエンディング。


 ローラの娘スージー(サンドラ・ディー)も、母への思慕と対立に悩み苦しみながら自立にめざめる無垢な姿が愛らしく、どこを取っても魅力的だった。
 男?…わりとどうでも良かったような(--;)ゞ…