ちょっと恥ずかしい話だけど、私はかなり長い間「むぞうさ」という言葉をあまり意識しないまま漢字で[無雑作]と書いており、けっこういい歳になったある日、何かの印刷物を読んでいた時にふと
「ややっ、これはもしかして[無造作]と書くのが正しかったのであろうか!?」
と気づいて、大慌てでそれまでの習慣を改めたことがあった。今とは違って、手書き中心の生活だった時代のことである。それ以来、もう長年ずっと[無造作]という表記を、これだけが正しいと信じて使ってきた。
ところが、つい一昨日のこと、いま読んでいる↓この本の中で
- 作者: 半村良
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 文庫
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「頂いて帰るものはこれですな」
男は無雑作にテーブルに近寄ると紫の風呂敷包みを指さした。(p.81)
という文字を目にしたので少なからず驚き、さっそく検索してみた。すると
む‐ぞうさ〔‐ザウサ|‐ザフサ〕【無造作/無雑作】[名・形動]
1 たやすいこと。また、そのさま。「頼みを―に引き受ける」
2 技巧をこらさないこと。念入りでないこと。また、そのさま。「―な筆づかい」
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
という項目が見つかった。なんと[無雑作]という表記も載っている辞書があるのだ。最近の辞書には載っているのだろうか*1。かつて自分がなんとな〜く書き続けていた[無雑作]という漢字を、おぼえ間違いの恥ずかしい記憶としてずっと保持してきた私にとって、これは大きな再ドンデン返しであった。
とすると、そもそも私が[無雑作]と書く癖をつけてしまったのも、やはり単なる書き間違いではなくて、どこか割とまともな出版物や印刷物で使われているのを見たのがきっかけだったのかもしれない。いったいいつからそう書くようになったのか、最初からそうおぼえてしまっていたのか、わからないけれど。
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上の話とは全く関係ないけれど、この1971年に発表された『石の血脈』には
「……ほら、俺達の現場でもよく夏になると二日酔いの奴などが日射病にやられるだろう。あれは本当は熱疲…熱疲なんとか」
「熱疲憊。それに熱痙攣だ」
「そう、そういうんだそうだが、もうひとつ熱中症というのがあって、やられると四割ぐらいは死ぬんだそうだ。」
「熱中症か。あれは老人とか子供とか、それに疲れていたりして長い間直射日光を浴びていると、急に汗が止って肌もからからに乾いて死んでしまう。なんでも脳のどこかにある体温調節中枢とかいうのが働かなくなるんだそうだ。」
(...)
「いくら今日のような上天気でも五月だぜ。日射病というのはおかしくないか」
「(...)しかし無いことじゃないそうだ。真冬に硝子戸の中で日なたぼっこをしていた婆さんが、知らない内にそれで死んでたなんてこともあるそうだ」(p.189-190)
などというこの夏タイムリーな実用知識(笑)もまじえつつ*2、ムー読者がわくわくしたような伝奇アイテムが怒涛のように連発されていて、ぜんぜん飽きない。