目をショボショボさせながら読んどりますが

 つたない感想文をひねりだすパワーすら湧かない今日このごろですが、いちおう記録です:
 奥泉光『神器 ―軍艦「橿原」殺人事件』読了。

神器〈上〉―軍艦「橿原」殺人事件

神器〈上〉―軍艦「橿原」殺人事件

神器〈下〉―軍艦「橿原」殺人事件

神器〈下〉―軍艦「橿原」殺人事件

 読み始めてまもなく、これは『白鯨』プラスもしかしたら『坊ちゃん』やね?とは思ったけれど、結末まで『白鯨』ぽい。しかし、主人公の名前「石目」=イシュメール、なのは気づかなかった私。本作を読み終えるまでわざと読まずにおいた著者インタビューをあとから開いてみたら、ちゃんとバラしてあった。

 軍隊・戦争用語が出てくるせいもあってパッと見たところ漢字が多めで読みづらそうだった割には、まぁまぁ読めた。かなり面白く。でもずっと当惑(笑)。ぎっしり詰まった〈死〉の重さと濃さにも、大量の鼠が湧き出す場面の多さにもちょっと辟易した(でもいちばん映像として印象に残るのは、永澤艦長が伊勢神宮を遙拝しつつ皺腹を切る非現実的な朝のシーン)けれど、けっきょく我々に残された最後にして最強の希望はショボい毛抜け鼠なんだ……食べてしゃべって、禿げマダラのまま平然と生きて。空虚なもの、真正さを僭称するもの、二重性、どこか外側から見ているもうひとりの存在、未来を見た者、過去を知る者。「好き」とは言いにくい世界なんだけど、あぁ日本ってずっとこういうことだったんだよねぇとお腹にこたえる感覚もある。私が初めてずしーんと何かわからない衝撃を感じた奥泉作品『石の来歴』に連なるような作品なので、やはりあそこへ繋がるのかと思うとちょっと嬉しい。でも『グランド・ミステリー』はどんなだったっけ。ってか、あれも読み返すべき?(<毛抜け鼠の口調で)


 『シューマンの指』も、11月中旬に読了。

シューマンの指 (100周年書き下ろし)

シューマンの指 (100周年書き下ろし)

 初期の『ノヴァーリスの引用』『葦と百合』を彷彿させる作品、とあちこちで書かれていたけれど、私としては何と言っても『その言葉を』を思い出さずにはいられない(嘘。じつは何ひとつ思い出せないほど完璧に忘れてる)。それと「暴力の舟」とか。 

 「その言葉を」に出てくる、河原でひたすら音階練習ばかり吹いているサックス吹きの青年の、いわば「音楽の失語症」みたいな状態は、『シューマンの指』の中でほとんど演奏しないピアニスト永嶺修人に似ているし、手指の毀損という強烈に印象的なモチーフも反復されている。この反復自体が、音楽のそれを意図的に模倣した「形式」なのだろう。しかしストレートな青春小説の姿をしていた「その言葉を」に比べると、『シューマンの指』の奇妙にねじくれた末に行き止まりへ封じ込められたような読後感は、カタルシスを許さないような苦い皮肉に包まれている。
 いちばん最後に出てくる手紙で、衝撃的な真実が明かされる!…というふうに読むのは普通なんだろうけれど、果たしてあの手紙がどこまで事実を語っているのか、あの手紙の書き手である女性が全くの「正気」なのか、あんな手紙がほんとに書かれたのかという疑問だってある。だいたい、あの山荘の夜に突然犯人捜しを言い出す女子高生って少しおかしくないか(笑)? ノートの存在じたい彼女の創作かも。すべては、ちょっとした可能性を試みてみた変奏曲に過ぎないのかも知れない。

 それにしても、シューマンって私が想像していたよりもずっと複雑怪奇な音楽家だったんですね。ちょっと作品にも興味が湧いてきた。


 両方を読んでみて思ったことは、奥泉光の小説を私はまだほとんど読んでいないし、どれもこれも読み返すと良いし、読み返したらそこには知らない言葉が並んでいるだろうということだ。