たちあがってはくずれさる幻影

イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』読了。

見えない都市 (河出文庫)

見えない都市 (河出文庫)

「これから先は朕が都市の模様を語ることとして、そちはその都市が実在するかどうか、また朕の考えておるとおりかどうかを確かめるがよい。まず、半月状の湾にのぞみ、東南風(シロッコ)にさらされている、階段仕立ての都市のことから訊ねてみよう。さて、そこに見られる不思議のいくつかを申してみる。鰺刺の水潜りと飛翔とを見守り、それによって吉凶を判ずる、高さは大伽藍ほどもあるガラスの水槽、風にそよぐ葉で竪琴を奏でる棕櫚椰子の樹、馬蹄形の大テーブルを周囲にそなえ、それを覆う布も、また供せられる料理も飲料もすべて大理石でできておる広場。」
「陛下には御放心の御様子。まさしくその都市について申し上げておりましたときに、陛下は私めの話をおとめ遊ばされたのでございます。」
「存じておるか?それはいずこに?してその名は?」

 この本におさめられた、五十五篇あるというふしぎな都市の物語は、フビライ汗に求められてマルコ・ポーロが諸国遍歴の経験を披露しているもの…のはずなのだが、あいまあいまに挿入される両者の対話は、どれも君主からの下問をマルコがはぐらかすような感じで、あるときは上記のように底意地悪くすら思える。読んでいるうちに、これはポーロが君主のために見聞を語っているのではなく、フビライが繰りひろげてみようとするたびにマルコ・ポーロに横取りされ中絶させられた、諸都市への夢想の破片の集まりなのではないかと思えてくる。

征服した領土の広大無辺にたいする自負心、あるいはそのような領土を見聞し理解しようとすることをすぐにもあきらめてしまうだろうと知ることの憂鬱とひそかな安心

 みずからの帝国をすみずみまで見晴らしてみたいという、ついに叶うことのない望みが、きらきら輝きながらつぎつぎに潰えていく、そのようすを見せられているような気分になる、思いのほか美しくてかなしい一冊。