最近読了した本で

 ほとんど脈絡なくあれこれを読んでいるわけですが、たとえば

裏ヴァージョン (文春文庫)

裏ヴァージョン (文春文庫)

醜聞の作法 (100周年書き下ろし)

醜聞の作法 (100周年書き下ろし)

 
 どちらも「書簡体小説」であったという共通点に、しばらくしてから気づく。といっても、読んだ人はご承知のとおり『醜聞の作法』のほうは往復書簡どころか、返事もなければ誰が読んだのかもわからず、そもそもほんとに「誰かに向かって」書かれたのかも怪しいしろもの*1。『裏ヴァージョン』のほうはいちおう反応というか何か応酬のようなものがあったり、後半書き手が入れ替わるあたりも辻褄は合っているけれど、それだってどこまでが本当か、そもそも書き手と読み手がいたというのもどこまで確かなのか。疑いだせばキリがない。


 『シューマンの指』を読んだときも、最後の手紙(?)を真に受けていいのやら…というなんともモヤモヤした気分をここに書いた。小説家が書いた「地の文」が「いったい誰が誰に言ってるの?」という、きわめて出所不明なふわふわ心もとない物体であるのに比べると、手記とか手紙という容れ物にいれたとたんに、いかにも「とある誰かが、誰かに向かって確かに書いた」地に足の着いたものに見せかけることもできる。その、もっともらしく体裁は整うけど、じつは中身は嘘くさいものに変貌していくのが面白いのかもしれない。


 『醜聞の作法』では、養父が企む縁談から逃れてじぶんの好いた相手との結婚を望む貰われ子の少女が、修道院に軟禁されてしまう。外にいては(置いておいては)不都合な女を収容する便利な施設であった修道院。しかし、場合によっては大いに女を救うことにもなる。
 ちょうど、『醜聞の作法』から少し後の時代を描いた『ナポレオン フーシェ タレーラン…』を読んでいたところ、のちにナポレオンと結婚することになるジョゼフィーヌが、16歳で結婚した最初の夫と不和になったあげく半ば強制的に修道院へ入れられてしまうエピソードが出てきた。鹿島氏はつぎのように書く(太字強調は引用者):

ところがあにはからんや、このパントモントの修道院が彼女の人生を大きく変えることになるのである。というのも、このパントモントの修道院は、いってみれば夫に先立たれたり別居裁判中の貴婦人たちが暮らす賄い付き高級ホテルのようなもので、ジョゼフィーヌはここで、多くの上流婦人たちからその立ち居振る舞いや会話術を学ぶことができたからである。(…)ジョゼフィーヌ修道院に入ることで「文化」を得て、完全に一皮むけた「いい女」になったのだ。

 修道院という「女の学校」で磨きをかけたジョゼフィーヌは、その後目まぐるしく男性遍歴を重ねて激動の世を渡っていく。なんだかそれこそサドの小説のヒロインみたいである。


 ところで女子修道院といえば、これはちょっと前に読了したものだが:

 主要人物のひとり、聡明で強い自我を持った女性カリスは、商才を発揮して父の事業を救う。町の自立を求めて声をあげるが、旧弊で強権的な修道院長と対立し、陥れられて魔女の嫌疑をかけられてしまう。火あぶりを逃れるために、他にどうしようもないまま修道院に入るのである。しかしそこでもまた施療院の運営などに腕をふるい、認められてとうとう女子修道院長の座につく。
 十字軍のなれの果てだのお尋ね者だのが紛れこんでいる男子の修道士に比べ、女子修道院は、裕福な女性が持参金(あるいは土地の寄進)付きで身を寄せたりするケースが多く、男子修道院に比べて格段に潤沢な資金を有している。作中で、野心家で自己中心的な修道院長ゴドウィンが、どうやって女子修道院側から改築費用などを融通してもらおうか腐心する場面がある。資金があるから、教区に対する影響力も大きい。もちろん、最終的には男="正規な"修道院・修道士、あるいは男ばかりでできあがった教会組織のほうがいつも立場が上であって、カリスは何度も叩きのめされ、落胆することにもなるのであるが、それにしても女子修道院長という地位が、制約の多かった当時の社会においては女性にとってひとつの「栄達の極み」だったのかもしれないと思わせられるのがこの小説である。
 時代も国も、『醜聞の作法』やジョゼフィーヌの挿話とは違う*2のだけれど、女性と修道院の関係を考えたときに思い出したのでついでにメモ。


 ***参考リンクを追加:Silva Speculationis ー思索の森 » Blog Archive » 民間のヒーラー

女性が正規の学問的医術にアクセスするのは難しかったものの、それまで伝統的に教会で治療行為を担っていたのは女性だという事実

 これ、まさに『大聖堂 果てしなき世界』でカリスが置かれていた立場そのもの。施療院での実地経験に根ざして「ペスト感染予防に手洗いやマスクが有効」と主張する彼女を、オックスフォードで「医学」を学んだという男の修道士が冷笑するエピソードなど。

*1:余談だけど、『醜聞の作法』を読んでるうちに、この絵が頭に浮かんできて、特定の章だけの「飛ばし読み返し」をしないと…という気になった。

*2:『大聖堂―果てしなき世界』は14世紀イングランドのお話