身の丈に合わない本からそれなりに収穫

 高橋博訳『ベーダ英国民教会史』(講談社学術文庫)読了。

ベーダ英国民教会史 (講談社学術文庫)

ベーダ英国民教会史 (講談社学術文庫)

 日ごろの読書の進み具合(?)は、積ん読本管理サイトStackStockBooksというところに記録しているのだが、それによると2ヵ月ぐらいかかって読んでいたらしい。

古代ローマ時代から八世紀初めまで、アングル人、サクソン人、ジュート人、そしてさまざまな侵略者たちは、いかにしてイングランド人として統合されていったか。初代カンタベリ大司教アウグスティヌスを始めとする伝道者たちの行跡、殉教者の苦難、さらに世俗権力の興亡を活写し、「イギリス史の源泉」と称される尊者ベーダ畢生の歴史書。アルフレッド大王版で読む待望の新訳。

 「アルフレッド大王版」で「待望の新訳」と言われても…と、裏表紙の説明を読んだ時点でもう“お呼びでない”感が満々なわけだが、映画や小説の背景がちょっとぐらい分かればなぁという軽い気持ちで買った。
 巻末に付いている年表は1215年まであったので、『大聖堂』や《修道士カドフェル》シリーズにも当てはまるかと思ったら、著者の尊者ベーダという人は7〜8世紀の人だったのですっかりアテがはずれた…という話は前にもちょっと書いたが、母が愛読している《修道女フィデルマ》シリーズはちょうどベーダの頃のアイルランド及びイングランドが舞台らしいので、あのシリーズを読む時(があれば)には何か思い出して役に立つこともあるかも知れない。

 教会「史」とはいっても何せ昔の人が書いたものなので、いわゆる史実以外に偉人聖女たちの起こした奇跡のエピソードなども含まれていて、おとぎ話的な面白さがところどころに顔を見せる。たいてい病気を治したとか天候を良くしたとかだが、最後近くに出てくる臨死体験(?)のエピソードは生々しい。ノーサンブリアの男性が語った〈ここは地獄でも天国でもありません〉、マーシア国のケンレッド王に仕えた人物が語ったという〈臨終のとき、自分の罪が記された本を見た〉など、章題だけでも印象的。

 私は人間の泣き声と悪魔の笑い声を区別できませんでしたが、それでも両者の入りまじった音をはっきり聞きました。

 死の淵から帰還したこのノーサンブリアの人は一市民らしいが、彼が語る、上昇する黒い焔とともに噴き上がる悪臭、悪魔が手にした灼熱の鋏のイメージは芸術的にすら思えた。



 〜〜それからさらにどうでもいい話だが〜〜

初代カンタベリー大司教アウグスティヌス教皇グレゴリウスに宛てた第九の質問:

夢のなかで起こる瞑想のあと、だれでも主の身体を受け入れることができるでしょうか。またその者が聖職者の場合、ミサの聖なる神秘を執りおこなうことができるでしょうか。

に対する答え:

旧約聖書では前章で述べたように、この者は汚れていると言っています。水で洗われないかぎり、あるいは水で洗われても夕刻までには、神の家に入ることは許されません(「申命記」二十三章十節)。しかし(…)不潔の誘惑に陥る者は、いわば、夢によって欺かれ、現実の想像的な思考によって阻害されるのです。(…)眠っている者の心にどのようにこの妄想が起こるかを注意深く観察しなければなりません。(…)眠っている者の瞑想が目覚めているあいだの邪な思考から起こる場合には、(…)

…云々となっていて、「瞑想」と「妄想」があまり区別されていないらしいのは訳語の問題だけとも思えないのだが、それはともかくとして、へ〜え「瞑想」てそういう意味もあった*1のかー、と妙な感心をしてしまい、せっかく一冊読んだのにそういう箇所しか記憶に残っていない自分はまるで中学二年生みたいでちょっと悲しい夏の終わりなのであった。

*1:いまちょっと調べてみたところ、英語にwet dreamていう表現があるようで、その件なのだろうかと