杉浦康平の大きさを知る

 臼田捷治杉浦康平のデザイン』 (平凡社新書)読了。

杉浦康平のデザイン (平凡社新書)

杉浦康平のデザイン (平凡社新書)


 中学生の頃、最寄りの私鉄駅前にあった小さな書店で、よく私は雑誌や参考書や文庫本を買っていたし、それ以上に毎日のように立ち読みをした。そこはよくある「町の本屋さん」であって、これという特色もない品揃えの店だった。と当時は思っていたし、今でも基本的には変わりはないのだけど、その店の真ん中あたり(入り口に近い雑誌や児童書のコーナーと、奥のほうの一般書や文庫本=どちらかというと「蓄積もの」のエリアとの、中間ゾーン)に、なぜか『エピステーメー』のバックナンバーが並んでいた。虹色の背表紙を上に向ける形で。
 いま思うと、果たしてあの店であの雑誌が定期的に(あるいは偶発的に一冊でも)売れることがあったのだろうか、あの本屋さんでは、どういうつもりで『エピステーメー』を常備していたのか。とかなり不思議な気持ちがする。それとも、そんな私の感じかたのほうが昨今の書店の様相にすっかり馴染みすぎなのであって、70〜80年代への移行期にあっては、ごくありふれた町の本屋さん(とそこの購買客)であってもあれが当たり前の「知の光景」だったのだろうか。いまとなっては判らない。
 ただ、あの店に毎日の下校時に立ち寄って、そこで『エピステーメー』の背表紙を、当たり前の日常の眺めとして見ていたという経験は、たぶん私の感性…とは言わないまでも、書物やデザインに対する感じ方とか好みに多少の影響を与えただろうと思う。

 のちに私は鈴木一誌戸田ツトムの装丁を好きだなぁと思うようにはなったものの、杉浦康平のデザインは濃厚かつアジア志向すぎると感じられ、それほど好んだとは言えない。特に『銀花』のデザインは良くも悪くも強烈、やり過ぎ感があって、雑誌のジャンルとしては常に興味をひくものであるだけに「ちょっとなぁ…(苦笑)」と思うことしばしばだった。
 しかし、本書などを通して、たとえば先に挙げた鈴木一誌らも杉浦の元で修行したこと、そして杉浦がこの数十年、日本の出版物のデザインに対してどれほど根本的に影響をあたえて来たかという歴史を知ると、いまでは毎日のように当たり前に眼にしている印刷物の、たとえば版面のバランスやタイポグラフィひとつにしても、杉浦の仕事がなかったらこうはなっていなかったかも…と思えてくる。
 数年前には、講談社現代新書の装丁リニューアルが悪評芬々(当社調べ)であった事件が記憶に新しい。それまで特に意識しないぐらい、これも当たり前のものとして書店の棚を占め存在しつづけていた杉浦康平デザインが、いかに特別で練り上げられたかけがえのないものであったかを、私にとっては初めて認識させる出来事だった気がする。


 前にもこの日記に書いたけれども、たまたま出てきた自分の若い頃の印刷物(映画のチラシとか)を見ると、字体やレイアウトの古めかしさがまるで《戦後》みたいでビックリすることがある。とくに印刷の電算化を経たことでここ20〜30年の変化は激しいものがあっただろうから余計にそうなのだろうが、まったく「普通」と思っている字体や紙質にもそのときどきの流行や特徴があり、後から見るとそれに気づくものである。読む時に必要以上に意識したり抵抗を感じたりしないように工夫されているのが普通の印刷物なのだろうが、それでもそのなかに何らかの「動き」はあるはずなのだ。それを感じ取れるようなセンスがあればいいのだけど。