ことしの大きな約束

 昨年末の日記にもチラッと書きましたが、永年の宿題であるマルセル・プルースト失われた時を求めて』の通読(もちろん日本語訳でね!アハハ)に「再」挑戦することにしました。


 思えば大学生時代、生まれて初めて手にしたアルバイト代で、いわゆる《清水の舞台から飛び降りる》ようにして買った、当時手に入るほぼ唯一の日本語全訳であった新潮社版の、かっちりした函入りハードカバー全7巻セット。評判どおり読みづらい文章に苦しみながらもたしか3巻ぐらいまでは読んだものの、ついに何やかやに取り紛れて中途で挫折したのでした。あれからいったい何年…曲がりなりにも仏文を専攻した身でありながら、読むべき物もマトモに読んでいない情けなさは、私のその後の人生にずっと突き刺さったままになってました。


 今年、これを含め幾つかのことを思いきって前へ進めよう(←ちと大袈裟)と決心し、進行中のものも含め新訳が幾つかあるのも気にはなりますが、取りあえず手元に全巻を置いて読みとおすことを優先しようと考えて、井上究一郎訳のちくま文庫版を揃えました。しかし、かつての「定番」ともいえるこの版も、今は古書店でしか入手できないって知ってました? 私はショックでした。
 
読み始めました


 ついでに、なんとなく買ってしまった海野弘さんのプルーストをめぐるエッセイ『プルーストの部屋』『プルーストの浜辺』、そして亡き恩師(私如きが恩師呼ばわりするのは失礼と承知しつつ)吉田城先生の遺著『プルーストと身体』も一緒に。本編をちゃんと読んでからでないととても読むわけにいかず、このままでは永遠に積ん読になりそうなこれらも、何とか読みたい。(後で本棚を探してみたら、井上究一郎プルースト論集『かくも長い時にわたって』というのも出てきました。これはむかし一度読んでる。それにタイトルが今の私には「イヤミかよ?!」と思えてしまうので、再読するとしても後回し。)



 なにごとも形と雰囲気から入る私、第一巻を読み始めるにあたって、使用済みカレンダーから切り抜いたブックカバーを掛けてみた。まるでこの作品のカバーになるために描かれたかのような、豪奢でロマンチックな蘭やアイリスの絵柄。



 どうぞ、このカバーのちからも手伝って、プルーストの世界へうまく吸い込まれて行けますように。



プルーストと身体―『失われた時を求めて』における病・性愛・飛翔

プルーストと身体―『失われた時を求めて』における病・性愛・飛翔

プルーストの浜辺―『失われた時を求めて』再読

プルーストの浜辺―『失われた時を求めて』再読

かくも長い時にわたって

かくも長い時にわたって