戦争が…

    • 6月30日(木) 立木康介×田中祐理子 「ひとはなぜ戦争をするのか」の人間学


 フロイトとアランの戦争論を紹介、どう今に繋げることができるか考察。
 購入したまま手をつけていなかった立木康介さんの新刊『狂気の愛、狂女への愛、狂気のなかの愛 愛と享楽について精神分析が知っている二、三のことがら』を3日前に慌てて読み始めながら、参加した*1

 
 田中祐理子さんは初めて知ったが、とても明快な語り口でいっぺんにファンになりそう。これからは気をつけてフォローしていこうと思う。
 

 質疑応答タイムで「インターネットの普及で人の意思疎通が進んだはずなのに…」という、まぁナイーヴな質問が出た際に、立木さんが「自分はネットで意思疎通が進むとは全然思っていなくて、直接対面の関係しか信じてない」という感じの返答をされたのを聞いていて自分が考えたこと:


 ずっと前にこのダイアリーにも書いたように、言葉が減っていくという傾向に私は常に不気味さと焦りを感じている。上記の質疑応答にからめて言うなら、ネットの普及につれてどんどん言葉の種類が限られてきて、ほんの少数の決まった範囲内の言葉が繰り返しやりとりされてるだけなんじゃないかと思いたくなることがある。やはり全員が全員に向かって何か言おうとすると、もう丁寧に言葉を探したり吟味したりする余裕もないし、共通の背景もない相手に即席でとりあえず言おうとするわけだから、だんだん「手旗信号」みたいな切りつめた言葉ばかりになっていってしまうんだろうな。(以下、なかなか書けないので追々書き足すつもり)…

*1:あの文体そのまま、肉声で語られるのが面白かった。ここから後(残り3分の2)は、あの声を再生しながら読み進められると思うとそれも楽しい(笑)。やはり直接、身体でもって対面するって大切かもしれない