日本の音


 先日読み終えた、片山杜秀『平成精神史』のなかで、印象に残った箇所がある。こんにちの日本会議の前身である2つの右派団体が、もともとかなり性格が異なるにも拘わらず結びつくことができた要因として、黛敏郎の人脈が果たした役割が大きいという説明がされる。それにつづいて、ストラヴィンスキーメシアンなどに影響を受けパリ仕込みの現代音楽家として出発した黛が、日本的なものを特色とする作曲家へ移行していったひとつのきっかけが、京都で触れた“音”であると明かされているところ。


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片山杜秀『平成精神史』より



 そんな『平成精神史』読了から数日後、たまたま(常に)部屋に溜まっている古い出版PR誌の山を少しでも消化するためノロノロとページを繰っていた際に、2012年頃?の『図書』に掲載されていた近藤譲のエッセイが眼にとまった。こちらは京都ではなく、風の強い日に奈良の法隆寺で鳴り響く風鐸の音に魅せられたのが伏線となり、やがてカウベルの音を“溺愛”するようになったという回想。

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岩波書店『図書』より 近藤譲のエッセイ


 同じ日本の現代音楽といっても、黛敏郎近藤譲はだいぶ感じの違う作曲家じゃないか(←聴かずに書いてる)と思うけれど、そして、近藤譲法隆寺で風鐸の音を聴いたからといって“日本回帰”はしてなさそうだけれど、この2人がちょっと似たところのあるエピソードを持っていることを偶然発見したのがなんだか不思議で、ここに並べてみたくなった。


〔20191120追記〕
『図書』の、ちょうど当該箇所がネットで読めるようになっていたので(いつまで有効かわかりませんが)、リンクします。

tanemaki.iwanami.co.jp