何度も棄てられてきた国民

 第二次大戦中、アメリカ合衆国内で日系人が収容所に入れられ不当な扱いを受けたことは、割合よく知られている。ごく最近になって合衆国政府がその過ちを認め、日系人団体に正式謝罪する場面をテレビで見たおぼえがある。
 しかし、直接関わりのないはずの中南米諸国の日系移民たちまでが、合衆国政府の主導で国を追われ、合衆国へ移送され身柄を拘束されていたことはこの番組で初めて知った。
 

 背景には合衆国の「日本人」に対する過剰な不信と憎悪、そして捕虜交換の為のいわばタマとして利用するという狙いもあったとされる。ペルーなど中南米諸国での日系移民たちは、長年の苦労の結果それぞれの地に定着し、しだいに経済力・発言力をつけていた。その存在を煙たく思い始めた移民先の国々の思惑と、合衆国の意図が一致したのだ。
 突然拘束されパスポートもヴィザも無しに合衆国へ連行された日系人たちは、それを口実に「不法入国者」として権利を制限され不自由を強いられた。最初から合衆国の策略だったのだ。それを聞いた時、合衆国のやった事はユダヤ人を連れ去ったナチの手口とどこが違うのだろうか?と思わす背筋がゾッとした。
 
 捕虜交換で南方へ船で運ばれた日系人たちは、今度は日本国の指示でそのままフィリピンへ徴用(というのかな?)されたりもしたらしい。スペイン語を使えるから必要とされたのだ。
 例によって記憶が曖昧(汗)なのだが、たぶん倉沢愛子著『「大東亜」戦争を知っていますか』という本だったと思うが、大戦中に南方で多くの民間人が働いていた意外な事実が紹介されていた。その中には、もしかしたら上記のような事情の人も含まれていたかもしれない。
 戦争が終わっても、移民先の国籍を取得していなかった場合は、現地へ戻ることも許されずそのまま日本へ居着くしかなかった人もいる。けっきょく彼らはかの地で築いた全てを奪われたのだ。移民先から合衆国へ、そこからまた日本へ「転売」され、母国日本にすら都合よく利用された。日本が戦争をしたばっかりにこのような目に遭ったというのに。
 
 かつての中南米への移民は実際は「棄民」だったケースもある、との指摘をときどき見る。先日からダラダラと北杜夫の『輝ける碧き空の下で』を読んでいるが、そこでも指摘されているのは、商業ベースでいい加減に実施され中止された移民事業、現地で予想外の苦境に陥り救いを求めた移民たちの声に全く取り合わなかった本国の無責任な姿勢だ。
 この国は過去に何度も、中南米で、満州で、自国民を棄てた。日本国が日本人を平気で見殺しにするところを、つい最近だって私たちは目撃したよね?