犬の命日にマフィン(甘栗メープル)

 ブログの書き方もすっかり忘れてしまっている*1昨今ですが、さいわい今年は犬の命日を直前に思い出すことができ、お供え菓子*2として久しぶりにマフィンを焼きましたので載せておきます。

甘栗とメープルシロップのマフィン

 生地がわりと硬めで、均等に平らに流し入れるのが難しくて不恰好になりましたが、焼き上がりは心配したよりもキメも揃い、しっとりふんわりしていて美味しかったです。
 もう遙か遠くなってしまった犬の思い出に、毎年同じようにゴメンネと詫びながら食べる、繰り返しです。


参考にした森岡梨さんの『A.R.Iのお菓子の提案―dailyマフィンとビスケット』
2005年初版、私の持っているのが2008年刊の第10版なので、かなり人気のあった本ですね。



  • たぶん最後にここに載せたマフィン。13年前ェェ?

パイナップルと黒糖のマフィン - ニゲラ嬢の雑記帖 la suite

  • そのさらに1年前に載せたマフィン。それ以前のマフィン関連記事のリスト付き(笑)

フルーツ入り甘いマフィン2種 - ニゲラ嬢の雑記帖 la suite

  • 「犬の命日」のお菓子記事はこれが最後だったけど、ブログを書かなかっただけでお菓子そのものはそれ以後も作ったことあるはず。

犬の命日に「抹茶ぶちパウンド」 - ニゲラ嬢の雑記帖 la suite


 お菓子作りもだけど、もうちょっとブログも書かないとね(twitterで済ませてばかりいないで。*3)…

*1:そもそも「はてなダイアリー」からブログへ移行した後はほとんど使っていないので当然

*2:お菓子作りもかつてはもうちょっと熱心にやっていたのだけど、時間はあるのにもう気力が全くナシ

*3:と書いていた直後にtwitterで大きなアクセス規制騒動が。これはいよいよ居場所を再考せよとのお告げか

『失われた時を求めて』読了

「今年こそ」とエラそうに宣言していたのがもう 昨年の お正月。


遅れに遅れてついに完読した。


思い起こせば(←起こさない。ブログって助かりますね)今回のちくま文庫版を揃えて読み始めたのが丸9年前。だったらしい。
nigellanoire.hatenablog.com
↑ここにも書いているように、ほんとは大学時代に読んでいるべきだったものを中年過ぎるまで怠惰に先送りし続け、やっと思い立ってみせたものの、たびたび長い中断をはさんで、またも挫折するのか…と思いかけた時期もありつつ、何とかヨレヨレでゴールイン。正直いって最初のほうにどんなことが書いてあったのかもう朦朧としているが…

「(若かった頃に)読んでいるべきだった」と書いたが、そして基本的にはそれが本心ではあるけれど、この大作のさいごに病身の語り手が、周囲の人々も自らもすっかり年老いたことを痛感し、残された時間はあるのか?と自問しつつも執筆に向かう意志を記すところを読んでいると、もしかしたらこの結末に自分がいまたどり着いたことにもそれはそれで意味があったのかもしれないと思った。


他にも未読本が山ほど積み上がっていることでもあり、同じ作品(しかも超長い)を再読するというある種の "贅沢" をする余裕がこれからの自分にはあまり望めそうにないが、もしも可能であれば、岩波文庫吉川一義訳で、もう一度さいしょから読み通し直してみたい。たぶん全く初めて読むような気持ちしかしないだろう。そして目の前に淡い水色と杏色がかった春の午後みたいな空間がただ広がっているなかへ知らない一歩を踏み出すような気分がするにちがいない。まるで若者みたいに。味わってみたいものです。

額装できたので飾ってみました(I Shall Wear Purple)

夏に完成したステッチ、その後ほとんど間を置かずに額装も済ませていたのだが、あいかわらず怠け者が治らず、ここにアップしていなかった。飾る場所も一応考えはしたものの、ぐずぐずしていて周囲の片付けや金具の設置もできておらず。そうこうするうちになんとお正月。というわけで、せっかくの縁起物っぽい図案なので、仮置きながらお正月期間だけ飾ってみることにした。


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右は母の作品で、毎冬の定番。



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全体図


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細部それぞれ。額屋さんが幾つか出してきてくれたなかの棹材はイメージにぴったり、ちょっと豪華だけど大げさでなく古雅な感じで、ステッチの格も👆上がろう☝️というもの。


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展示全景(笑)。この額以外の3点は母の作品


私にとってはこんなに本格的な額縁にステッチ作品を入れてもらうのは↓8年ぶり↓で、たぶんもう今回が最後であろう……


nigellanoire.hatenablog.com


もちろんまだまだ買い溜めた貯めた図案やキットは大小とり混ぜて山ほどあるのだけど、ハテ生きているあいだにどれほど手がけられるやら。

ペギーダ PEGIDA と「夕べの国」(『新たな極右主義の諸側面』メモ)

年末に、新刊書『新たな極右主義の諸側面』を読了。

新たな極右主義の諸側面 (nyx叢書)

新たな極右主義の諸側面 (nyx叢書)

 全体が約120ページの小さな書物のうち、本文は60ページほどで、詳しいあとがき(1972年生れのドイツの歴史家フォルカー・ヴァイスによるものと、日本語訳者である橋本紘樹*1によるものの2つ)が付いている。アドルノが1967年に行った講演記録が、いまになって文字に起こされて書籍化された経緯を含めて、現在の状況につなげる意味でもちょっと解説が必要だったということだと思う。
 そのあとがきの中で、近年のドイツでの右傾化の代表例として2014年に発足した反イスラーム運動PEGIDAの名前が挙げられている。PEGIDAとは、Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes というドイツ語の頭文字をとったものだという。

西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者 - Wikipedia

 そして、その運動名というか活動名の日本語訳としては、上記リンク先のWikipediaページにあるように、「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者などとするのが一般的であるらしい。

 いっぽう、本書の2つのあとがきでは、このPEGIDAに対する訳語が「夕べの国イスラーム化に反対する愛国的ヨーロッパ人」とされている。さいしょこの訳語だけをみたとき、ドイツ語を解さない私は「ゆうべ? 何かの間違いかしら」とすら思ったのだが、調べてみてAbendlandes(オリエントに対するオクシデント=西洋、日の沈むところの意)という単語を分解して字義のまま直訳?するとそういう意味になるのかなと推測はした。しかしそれにしてもなぜ、一般的な訳語を避けてあえて「夕べの国」という語を採用しているのかはよくわからない。
 あとで思いついて、このPEGIDAについて「夕べの国」という言葉を使っているウェブサイトがないかと検索してみたところ、次のような記事を見つけた。

www.excite.co.jp

 これは『ドイツの新右翼』という本の書評なのだが、その『ドイツの新右翼』の著者が、今回『新たな極右主義の諸側面』に「あとがき」を書いているフォルカー・ヴァイスである。この書評(3−4ページ目)によれば、

……ヴァイスが問題にするのは、右翼的思考の源泉にある「神話」なのである。より具体的には、第7章で詳述される「夕べの国」(アーベントラント)概念……「夕べの国」とは、ユーラシア大陸の反対側の日本が「日の出ずる国」と表されるようなもので、ヨーロッパのことを指す。しかし「日の出ずる国」と同様、「夕べの国」というフレーズには、当地の人々にとって何かエモーショナルな感情を掻き立てるものがある。それはドイツの民族主義にとって「我々の場所」のことなのだ

とあって、ヴァイスにとってはAbendlandesという語に込められた、単なるヨーロッパ=西洋を指すだけでない意味合いこそが重要な論点のひとつとなっているらしいことがわかる。その意を汲んで、本書『新たな極右主義の諸側面』のあとがきに於いても、PEGIDAの訳語として「夕べの国」という日本語が選択されているのだろう。
 しかし政治団体名のような固有名詞については、一般的に定着した訳語がある場合はだいたいそれに統一することが多いと思われるので、普通の時事ニュース記事などでこの団体名を見知っていた読者がもしこの訳語を見たら、たぶん違和感を覚えることだろう。私自身はそもそもこの近年出現した反イスラーム団体そのものを全く見聞きしたことがなく、今回はじめてその存在を知ったので、へーっそういう名前なのか、と最初の印象としてこの単語と共に憶えることになった。上記のWikipedia記事および『ドイツの新右翼』書評記事(北守=藤崎剛人さんによる)は、これからよく読ませてもらうつもり。

 以上、新春しらべもの初めでした。

*1:昨年2月に、橋本先生によるアドルノ入門講座へ行ったことが今回の本を手にとった契機。思えばあれが、お外でその種の集まり(座席が密)に参加できた最後だったかも。

棋士たちのヴァルハラ?

死神の棋譜

死神の棋譜

死神の刃の下で駒を凝視する男の行方は――。圧倒的引力で読ませる将棋ミステリ。――負けました。これをいうのは人生で何度目だろう。将棋に魅入られ、頂点を目指し、深みへ潜った男は鳩森神社で不詰めの図式を拾って姿を消した。彼の行方を追う旅が始まったが……。北海道の廃坑、幻の「棋道会」、美しい女流二段、地下神殿の対局、盤上の磐、そして将棋指しの呪い。前代未聞の将棋エンタテインメント。


 竜王戦番勝負のさなか羽生善治九段が「高熱を出し入院」との気懸りな報せ(11月11日)につづき、藤井聡太二冠の王位就位式が行われた(11月12日)夜に、新旧棋士たちの戦い続ける人生を垣間見つつ読了。
 著者はどこだったかで、本作には(名前こそ出ていないけれど)読めばそれとわかるように藤井さんも登場しています、ということを書いていた。物語の時代設定が少し前になっているので、途中までは「あれ、藤井さんはどんなふうに出てくるんだろう」と心配になりかけたけど、最後のほうでとうとう…。棋士の戦いの凄みは、将棋を全く解しない私の想像がおよぶものではないけれども、就位式ではいつものように柔かな笑みを見せていた藤井二冠も、究極の将棋を求めて既にあの世界へ入ってしまっているのか、と痛ましい(笑)気持ちにすらなった。


 そして、この人も年代的に本作中では未だ名前が出てこないけれども:
dot.asahi.com

(…)盤上で激しくしのぎを削り合う棋士たちの頭の中身はいったいどうなっているのだろう(…)
渡辺名人は頭の中に盤自体がなくダークグレーの空間に駒の形や文字もはっきり浮かばない「暗黒星雲型」ともいうべきスタイルだった。

 ↑ この箇所を読んだとき、渡辺明三冠も間違いなくあの地下神殿で将棋を指してるな…と確信。



 私としては、かつて存在したらしい”将棋カルト”ともいうべき団体をめぐる伝奇ホラーの側面にもう少し濃いものを期待していた*1けれど、どちらかというと[アンチ]ミステリ寄りであったように思う。
 物語全体が「不詰め」であり、謎を追って姿を消した若手棋士とそれを追う(挫折した)元棋士という繰り返される相似を含めて、もしかしたら更に将棋の隠喩が含まれているのかもしれないが、そこは私には読み取り不能。しかし、第三章で「私」がホテルで夢にみる、龍の口の坑道に吸い込まれていく人々と作業服の男の場面や、執拗に描写される、岩の祭壇や金剛床のある地下神殿での巨大将棋の場面は、身に覚えのある悪夢の感触がよみがえって生々しく、いつか自分もそれを見たかのような気分になった。その鮮明さに対して、登場人物たちは(いずれも将棋指しである以上ある種の強烈なひとびとであることは確かなはずなのに)しだいに輪郭がゆらぎぼやけて曖昧で不確かな、それこそ文字通りの「単なる駒にすぎない」なにかへ変わり果て、結末にたどりつくと誰もがパタパタと書き割りを折り畳むように溶解していってしまう。ただ変わらず存在するのはあの空間で永遠に対局し続けるあの棋士たちのほうか…というコントラストが印象的。ただ、関西将棋会館が登場するとは思わなかったので、そこではちょっと吹き出しそうになった。



  ↓ 登場人物・できごとの時系列までまとめてくださっている親切なブログ。本作読了してからの閲覧がおすすめ。私も繰り返して読めばもう少し真相らしきものに近づけるのだろうか……

  • 死神の棋譜/ウタタネコル

bookmark-bookend.seesaa.net

*1:ちなみに、読んでいるとちゅうでなぜか連想したのが、稲生平太郎『アムネジア』。再読したけど、やっぱり忘れる『アムネジア』。

アムネジア (角川書店単行本)

アムネジア (角川書店単行本)

おしゃれ猫の手提げ

前回ここに載せた手提げは、刺しゅうをはめ込んだタイプだったが、今回はまた楽ちん「縫っただけ」の手提げである。


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とにかく可愛い猫プリント地を使いたくて、「〇〇のひとつ覚え」的な手提げ袋に……なんの芸もなし。せめて外側にも貼り付けポケットを設置した。


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裏地は 淡いピンクの、SOULEIADO ソレイアード のプリント*1で、全体にフレンチテイスト(笑)でまとめてみた。


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この、気の強そうな顔つきの、スカートを履いた女の子が一番気に入り。

*1:LA PETITE MOUCHE / ラ・プティット・ムーシュ = 「小さな虫」という紋様だそうで…名前はいまひとつだが、超定番の伝統パターンで、多くのカラーバリエーションがある。

"I shall wear purple" , now !

終わらないかと思ったクロス・ステッチの完成

 自宅で過ごす時間が増えた、この春以来の数ヶ月。老眼も進んだらしく一段と読みづらさが増すなか、苦しみつつもなんとか読書だけは続けようとした。活字の小さな昔の新潮文庫をひっぱり出してきてカミュの『ペスト』を再読したり。


 しかし、ここ何年間もiPhoneのリマインダーが毎日午後4時に知らせてくる(←自分でそう設定した)クロスステッチ再開】という掛け声には、いくら空き時間おうち時間が増えようと、いっこうに従うことができずにいた。残っている作業はあとほんの少しの仕上げ程度だけなのに… 手仕事はいったん手から離してしまうと、ほんとうに再開するのがむずかしい。


 それがなぜ突然、動いたのか。それは将棋王位戦(笑)藤井七段のおかげ。私は将棋のルールも何も知らず、ただ眺めるだけなのだが、今週月曜日(7/13)の実況をAbemaTVで流しながら、「そうだ、こういう時に手仕事をすべきなんよなー」と、ここ数年ごぶさたしていた感覚がどういうわけか急に蘇ったのであった。そうなるとあとは早い。ちょびっとだけ残っていた仕上げをもはやテキトーな粗っぽいステッチで爆刺しして、その日のうちに完成させてしまった。



I Shall Wear Purple by Sue Hillis Designs

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I shall wear purple ステッチ完成図:サイズの目安としてスリッパの足入り(笑)

 左下の赤い帽子に掛かっている白っぽいレースの部分が最後に残っていた箇所。面倒なわりにあまり綺麗に仕上がらなかったのだけど、正直もうどうでもいいという心境。

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I shall wear purple 使用済みチャート

 長年の苦闘の痕ということで、ずっと使用していたチャート(冊子形状のものを購入、実物大コピーして貼り合わせたものを作業用とした)。セロテープ部分が変色している。このあと畳み直そうとしたら、ぱらぱらとテープがほとんど剥がれ落ちていった。

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I shall wear purple チャートの書き込み拡大

 拡大するとこんな感じ

 大きな作品なので布地をもてあまして、途中からスクロール・フレーム(わざわざ購入)に布を張ってステッチしていた。その様子も写真に撮っておけば良かったのだが、終わった終わったーぃ! と思い切り良くあっという間にフレームから外してしまったので、一枚も写真が無いことにあとから気づいた。本格ステッチャーみたいで格好よかったのに…




いったい、いつから刺していたのか

 当はてなダイアリーを遡ってみたところ、ちょうど15年前の春頃にステッチ開始したことが判る。
 そもそもこのデザインはRed Hat Societyなる、50歳以上の女性の元気な生き方を応援する(?)運動のシンボルとして広められたものだった。



 だから私も、当初は「50歳までにステッチ完成」を目標として刺し始めたはずで、じっさい、順調に行けばそれは悠々可能であると思われたのであった… 15年前って言えばまだ40代前半ですからね。

 ↓↓ 今さがしてみて見つかった「はてなダイアリー」時代のエントリーはだいたいこんなところ。

nigellanoire.hatenablog.com
nigellanoire.hatenablog.com
nigellanoire.hatenablog.com
nigellanoire.hatenablog.com
nigellanoire.hatenablog.com



(余談ですが:昔の「はてなダイアリー」にあった裏技的機能で、1日の日記に複数の画像を載せたい時に「西暦1000年1月1日などの、日記に使用しない遠い過去日付に画像を登録し、それを今日の日記に表示させる」方法で時々画像を載せていた。近年になって「はてなダイアリー」廃止に伴い「はてなブログ」に移行した際、その裏技的方法で掲載していた画像は表示できなくなってしまったので、今みると、画像が無くて何のことか意味のわからなくなっている日記が幾つもある。画像そのものは「遠い過去日付」のところにそのままポツンと取り残されて存在するはずだけど、修復する気力が無くてそのままに…)

 なんと、最後の2006年2月の日記には、今もTwitterでおつきあい(?)させていただいている方からコメントも貰っていた。見てますか〜!?
 2005年12月の「ようやく一段落」と書いた際の画像は、もうほとんど完成品と同じように見えるが、実はここからが細かくて刺しにくくて、しかもステッチが済んだ箇所と未だの箇所の見分けも記録もめんどくさいという泥沼が待ち受けていたのであった。
 この後ももちろん時々思い出しては進めていたのだけど、もう写真を撮ったりダイアリーを書いたりする気力が無かったため、いつ頃から完全にストップしていたのかはっきりしない。55歳にも間に合わないとなった時にはちょっとションボリしたはずだけど、だいたいステッチに限らず人生ぜんたいがションボリしているので、あまり憶えてない。ただもう、老いるとどんどん「できること」の種類も量も減っていくのを痛感した十数年でした。


 ともあれ、今となっては60歳までには完成してホッとしている。外出しにくい昨今の日常ではありますけれども、近いうちに額縁屋さんへ持っていって額装をお願いする予定。もうこんな大規模な刺しゅう作品に取り組むことも無いと思うので、なるべく立派な額でせいぜいえぇ感じに仕上げてもらおうと思います。会心の額装が出来上がったら、またここに載せる…かも。