額装できたので飾ってみました(I Shall Wear Purple)

夏に完成したステッチ、その後ほとんど間を置かずに額装も済ませていたのだが、あいかわらず怠け者が治らず、ここにアップしていなかった。飾る場所も一応考えはしたものの、ぐずぐずしていて周囲の片付けや金具の設置もできておらず。そうこうするうちになんとお正月。というわけで、せっかくの縁起物っぽい図案なので、仮置きながらお正月期間だけ飾ってみることにした。


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右は母の作品で、毎冬の定番。



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全体図


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細部それぞれ。額屋さんが幾つか出してきてくれたなかの棹材はイメージにぴったり、ちょっと豪華だけど大げさでなく古雅な感じで、ステッチの格も👆上がろう☝️というもの。


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展示全景(笑)。この額以外の3点は母の作品


私にとってはこんなに本格的な額縁にステッチ作品を入れてもらうのは↓8年ぶり↓で、たぶんもう今回が最後であろう……


nigellanoire.hatenablog.com


もちろんまだまだ買い溜めた貯めた図案やキットは大小とり混ぜて山ほどあるのだけど、ハテ生きているあいだにどれほど手がけられるやら。

ペギーダ PEGIDA と「夕べの国」(『新たな極右主義の諸側面』メモ)

年末に、新刊書『新たな極右主義の諸側面』を読了。

新たな極右主義の諸側面 (nyx叢書)

新たな極右主義の諸側面 (nyx叢書)

 全体が約120ページの小さな書物のうち、本文は60ページほどで、詳しいあとがき(1972年生れのドイツの歴史家フォルカー・ヴァイスによるものと、日本語訳者である橋本紘樹*1によるものの2つ)が付いている。アドルノが1967年に行った講演記録が、いまになって文字に起こされて書籍化された経緯を含めて、現在の状況につなげる意味でもちょっと解説が必要だったということだと思う。
 そのあとがきの中で、近年のドイツでの右傾化の代表例として2014年に発足した反イスラーム運動PEGIDAの名前が挙げられている。PEGIDAとは、Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes というドイツ語の頭文字をとったものだという。

西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者 - Wikipedia

 そして、その運動名というか活動名の日本語訳としては、上記リンク先のWikipediaページにあるように、「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者などとするのが一般的であるらしい。

 いっぽう、本書の2つのあとがきでは、このPEGIDAに対する訳語が「夕べの国イスラーム化に反対する愛国的ヨーロッパ人」とされている。さいしょこの訳語だけをみたとき、ドイツ語を解さない私は「ゆうべ? 何かの間違いかしら」とすら思ったのだが、調べてみてAbendlandes(オリエントに対するオクシデント=西洋、日の沈むところの意)という単語を分解して字義のまま直訳?するとそういう意味になるのかなと推測はした。しかしそれにしてもなぜ、一般的な訳語を避けてあえて「夕べの国」という語を採用しているのかはよくわからない。
 あとで思いついて、このPEGIDAについて「夕べの国」という言葉を使っているウェブサイトがないかと検索してみたところ、次のような記事を見つけた。

www.excite.co.jp

 これは『ドイツの新右翼』という本の書評なのだが、その『ドイツの新右翼』の著者が、今回『新たな極右主義の諸側面』に「あとがき」を書いているフォルカー・ヴァイスである。この書評(3−4ページ目)によれば、

……ヴァイスが問題にするのは、右翼的思考の源泉にある「神話」なのである。より具体的には、第7章で詳述される「夕べの国」(アーベントラント)概念……「夕べの国」とは、ユーラシア大陸の反対側の日本が「日の出ずる国」と表されるようなもので、ヨーロッパのことを指す。しかし「日の出ずる国」と同様、「夕べの国」というフレーズには、当地の人々にとって何かエモーショナルな感情を掻き立てるものがある。それはドイツの民族主義にとって「我々の場所」のことなのだ

とあって、ヴァイスにとってはAbendlandesという語に込められた、単なるヨーロッパ=西洋を指すだけでない意味合いこそが重要な論点のひとつとなっているらしいことがわかる。その意を汲んで、本書『新たな極右主義の諸側面』のあとがきに於いても、PEGIDAの訳語として「夕べの国」という日本語が選択されているのだろう。
 しかし政治団体名のような固有名詞については、一般的に定着した訳語がある場合はだいたいそれに統一することが多いと思われるので、普通の時事ニュース記事などでこの団体名を見知っていた読者がもしこの訳語を見たら、たぶん違和感を覚えることだろう。私自身はそもそもこの近年出現した反イスラーム団体そのものを全く見聞きしたことがなく、今回はじめてその存在を知ったので、へーっそういう名前なのか、と最初の印象としてこの単語と共に憶えることになった。上記のWikipedia記事および『ドイツの新右翼』書評記事(北守=藤崎剛人さんによる)は、これからよく読ませてもらうつもり。

 以上、新春しらべもの初めでした。

*1:昨年2月に、橋本先生によるアドルノ入門講座へ行ったことが今回の本を手にとった契機。思えばあれが、お外でその種の集まり(座席が密)に参加できた最後だったかも。

棋士たちのヴァルハラ?

死神の棋譜

死神の棋譜

死神の刃の下で駒を凝視する男の行方は――。圧倒的引力で読ませる将棋ミステリ。――負けました。これをいうのは人生で何度目だろう。将棋に魅入られ、頂点を目指し、深みへ潜った男は鳩森神社で不詰めの図式を拾って姿を消した。彼の行方を追う旅が始まったが……。北海道の廃坑、幻の「棋道会」、美しい女流二段、地下神殿の対局、盤上の磐、そして将棋指しの呪い。前代未聞の将棋エンタテインメント。


 竜王戦番勝負のさなか羽生善治九段が「高熱を出し入院」との気懸りな報せ(11月11日)につづき、藤井聡太二冠の王位就位式が行われた(11月12日)夜に、新旧棋士たちの戦い続ける人生を垣間見つつ読了。
 著者はどこだったかで、本作には(名前こそ出ていないけれど)読めばそれとわかるように藤井さんも登場しています、ということを書いていた。物語の時代設定が少し前になっているので、途中までは「あれ、藤井さんはどんなふうに出てくるんだろう」と心配になりかけたけど、最後のほうでとうとう…。棋士の戦いの凄みは、将棋を全く解しない私の想像がおよぶものではないけれども、就位式ではいつものように柔かな笑みを見せていた藤井二冠も、究極の将棋を求めて既にあの世界へ入ってしまっているのか、と痛ましい(笑)気持ちにすらなった。


 そして、この人も年代的に本作中では未だ名前が出てこないけれども:
dot.asahi.com

(…)盤上で激しくしのぎを削り合う棋士たちの頭の中身はいったいどうなっているのだろう(…)
渡辺名人は頭の中に盤自体がなくダークグレーの空間に駒の形や文字もはっきり浮かばない「暗黒星雲型」ともいうべきスタイルだった。

 ↑ この箇所を読んだとき、渡辺明三冠も間違いなくあの地下神殿で将棋を指してるな…と確信。



 私としては、かつて存在したらしい”将棋カルト”ともいうべき団体をめぐる伝奇ホラーの側面にもう少し濃いものを期待していた*1けれど、どちらかというと[アンチ]ミステリ寄りであったように思う。
 物語全体が「不詰め」であり、謎を追って姿を消した若手棋士とそれを追う(挫折した)元棋士という繰り返される相似を含めて、もしかしたら更に将棋の隠喩が含まれているのかもしれないが、そこは私には読み取り不能。しかし、第三章で「私」がホテルで夢にみる、龍の口の坑道に吸い込まれていく人々と作業服の男の場面や、執拗に描写される、岩の祭壇や金剛床のある地下神殿での巨大将棋の場面は、身に覚えのある悪夢の感触がよみがえって生々しく、いつか自分もそれを見たかのような気分になった。その鮮明さに対して、登場人物たちは(いずれも将棋指しである以上ある種の強烈なひとびとであることは確かなはずなのに)しだいに輪郭がゆらぎぼやけて曖昧で不確かな、それこそ文字通りの「単なる駒にすぎない」なにかへ変わり果て、結末にたどりつくと誰もがパタパタと書き割りを折り畳むように溶解していってしまう。ただ変わらず存在するのはあの空間で永遠に対局し続けるあの棋士たちのほうか…というコントラストが印象的。ただ、関西将棋会館が登場するとは思わなかったので、そこではちょっと吹き出しそうになった。



  ↓ 登場人物・できごとの時系列までまとめてくださっている親切なブログ。本作読了してからの閲覧がおすすめ。私も繰り返して読めばもう少し真相らしきものに近づけるのだろうか……

  • 死神の棋譜/ウタタネコル

bookmark-bookend.seesaa.net

*1:ちなみに、読んでいるとちゅうでなぜか連想したのが、稲生平太郎『アムネジア』。再読したけど、やっぱり忘れる『アムネジア』。

アムネジア (角川書店単行本)

アムネジア (角川書店単行本)

おしゃれ猫の手提げ

前回ここに載せた手提げは、刺しゅうをはめ込んだタイプだったが、今回はまた楽ちん「縫っただけ」の手提げである。


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とにかく可愛い猫プリント地を使いたくて、「〇〇のひとつ覚え」的な手提げ袋に……なんの芸もなし。せめて外側にも貼り付けポケットを設置した。


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裏地は 淡いピンクの、SOULEIADO ソレイアード のプリント*1で、全体にフレンチテイスト(笑)でまとめてみた。


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この、気の強そうな顔つきの、スカートを履いた女の子が一番気に入り。

*1:LA PETITE MOUCHE / ラ・プティット・ムーシュ = 「小さな虫」という紋様だそうで…名前はいまひとつだが、超定番の伝統パターンで、多くのカラーバリエーションがある。

"I shall wear purple" , now !

終わらないかと思ったクロス・ステッチの完成

 自宅で過ごす時間が増えた、この春以来の数ヶ月。老眼も進んだらしく一段と読みづらさが増すなか、苦しみつつもなんとか読書だけは続けようとした。活字の小さな昔の新潮文庫をひっぱり出してきてカミュの『ペスト』を再読したり。


 しかし、ここ何年間もiPhoneのリマインダーが毎日午後4時に知らせてくる(←自分でそう設定した)クロスステッチ再開】という掛け声には、いくら空き時間おうち時間が増えようと、いっこうに従うことができずにいた。残っている作業はあとほんの少しの仕上げ程度だけなのに… 手仕事はいったん手から離してしまうと、ほんとうに再開するのがむずかしい。


 それがなぜ突然、動いたのか。それは将棋王位戦(笑)藤井七段のおかげ。私は将棋のルールも何も知らず、ただ眺めるだけなのだが、今週月曜日(7/13)の実況をAbemaTVで流しながら、「そうだ、こういう時に手仕事をすべきなんよなー」と、ここ数年ごぶさたしていた感覚がどういうわけか急に蘇ったのであった。そうなるとあとは早い。ちょびっとだけ残っていた仕上げをもはやテキトーな粗っぽいステッチで爆刺しして、その日のうちに完成させてしまった。



I Shall Wear Purple by Sue Hillis Designs

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I shall wear purple ステッチ完成図:サイズの目安としてスリッパの足入り(笑)

 左下の赤い帽子に掛かっている白っぽいレースの部分が最後に残っていた箇所。面倒なわりにあまり綺麗に仕上がらなかったのだけど、正直もうどうでもいいという心境。

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I shall wear purple 使用済みチャート

 長年の苦闘の痕ということで、ずっと使用していたチャート(冊子形状のものを購入、実物大コピーして貼り合わせたものを作業用とした)。セロテープ部分が変色している。このあと畳み直そうとしたら、ぱらぱらとテープがほとんど剥がれ落ちていった。

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I shall wear purple チャートの書き込み拡大

 拡大するとこんな感じ

 大きな作品なので布地をもてあまして、途中からスクロール・フレーム(わざわざ購入)に布を張ってステッチしていた。その様子も写真に撮っておけば良かったのだが、終わった終わったーぃ! と思い切り良くあっという間にフレームから外してしまったので、一枚も写真が無いことにあとから気づいた。本格ステッチャーみたいで格好よかったのに…




いったい、いつから刺していたのか

 当はてなダイアリーを遡ってみたところ、ちょうど15年前の春頃にステッチ開始したことが判る。
 そもそもこのデザインはRed Hat Societyなる、50歳以上の女性の元気な生き方を応援する(?)運動のシンボルとして広められたものだった。



 だから私も、当初は「50歳までにステッチ完成」を目標として刺し始めたはずで、じっさい、順調に行けばそれは悠々可能であると思われたのであった… 15年前って言えばまだ40代前半ですからね。

 ↓↓ 今さがしてみて見つかった「はてなダイアリー」時代のエントリーはだいたいこんなところ。

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(余談ですが:昔の「はてなダイアリー」にあった裏技的機能で、1日の日記に複数の画像を載せたい時に「西暦1000年1月1日などの、日記に使用しない遠い過去日付に画像を登録し、それを今日の日記に表示させる」方法で時々画像を載せていた。近年になって「はてなダイアリー」廃止に伴い「はてなブログ」に移行した際、その裏技的方法で掲載していた画像は表示できなくなってしまったので、今みると、画像が無くて何のことか意味のわからなくなっている日記が幾つもある。画像そのものは「遠い過去日付」のところにそのままポツンと取り残されて存在するはずだけど、修復する気力が無くてそのままに…)

 なんと、最後の2006年2月の日記には、今もTwitterでおつきあい(?)させていただいている方からコメントも貰っていた。見てますか〜!?
 2005年12月の「ようやく一段落」と書いた際の画像は、もうほとんど完成品と同じように見えるが、実はここからが細かくて刺しにくくて、しかもステッチが済んだ箇所と未だの箇所の見分けも記録もめんどくさいという泥沼が待ち受けていたのであった。
 この後ももちろん時々思い出しては進めていたのだけど、もう写真を撮ったりダイアリーを書いたりする気力が無かったため、いつ頃から完全にストップしていたのかはっきりしない。55歳にも間に合わないとなった時にはちょっとションボリしたはずだけど、だいたいステッチに限らず人生ぜんたいがションボリしているので、あまり憶えてない。ただもう、老いるとどんどん「できること」の種類も量も減っていくのを痛感した十数年でした。


 ともあれ、今となっては60歳までには完成してホッとしている。外出しにくい昨今の日常ではありますけれども、近いうちに額縁屋さんへ持っていって額装をお願いする予定。もうこんな大規模な刺しゅう作品に取り組むことも無いと思うので、なるべく立派な額でせいぜいえぇ感じに仕上げてもらおうと思います。会心の額装が出来上がったら、またここに載せる…かも。

やっと読めた『椿井文書』(20200524読了)

10年以上前にたまたま新聞記事で読んで、気になっていた「椿井文書」
nigellanoire.hatenablog.com



↑ この日記の時点では「枚方市立中央図書館市史資料専門調査員」という肩書であった、 現在は大阪大谷大学文学部准教授の馬部隆弘さんが、一般向きの新書を書かれたので、おおよそのことが(たぶん)理解できた。



これより先に昨年、同じ著者のもっと専門的な本が出ていて

由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に

由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に

  • 作者:馬部隆弘
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: 単行本

ここでも椿井文書のことは取り上げられているだろうとは思ったものの、さすがにこちらは自分のような者が読む本ではないと思ってスルー…

しかし新書という手に取りやすい形で読むことができるようになるとは、正直いって予想していなかったので少し驚いた。今回の出版をきっかけに、著者である馬部隆弘さんのインタビュー記事もあちこちの媒体に掲載され、ネットでも読むことができるので、更に関心を持つ人も増えるだろう。
『椿井文書―日本最大級の偽文書』/馬部隆弘インタビュー|web中公新書



椿井政隆がデッチ上げた由緒書や絵図などを、真に受けて〜〜市史や〇〇町史に載せてしまったり史碑を建てたりしてしまっている所がたくさんあるらしく、本の中にも実例がいくつか挙げられている。京都府を中心とした近畿地方が椿井の主な活動エリアだっただけに、だまされて(?)いる自治体のリストを見ていると、私たちの住んだことのある自治体も含まれていて「アァーっ、△▷市もだまされてはる〜(笑)」などという楽しみ方も。逆に、著者の研究成果などをちゃんと受け入れて再検討し、偽造資料であることを注記したうえで掲載している自治体もあり、それぞれの文化行政に対する意識のレベルが問われてしまうテーマでもある。国による文書の改竄や廃棄という事件が起きた我々のリアルタイムを考えあわせても、単に「文書が残っているから」「こう書いてあるから」ではなく、なぜその文書が残っているのか、そう書き残されているという事実は何を意味するのか、逆に残されていないという事実自体が何かを示す可能性など、メタ視点で(古)文書をみることの必要性を教えられる。


ところで、最初にリンクした11年前の自分のはてなダイアリーで言及している、京都新聞の記事。自分では切抜きを保存しそびれたとばかり思い込んでいたが、ちょっと思い違いをしていて、別の場所にちゃんと残っていたことが今般ついでに判明。改めて見ると、憶えていた印象よりずっと詳しい内容に加えてちゃんとカラーで図版も入って、京都新聞の記者もそうとう力を入れた記事だと思われる。先見の明と言えるのでは!

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自分の物持ちの良さに改めて感心 11年前の新聞切り抜き

“キモノショップinイングランド” その後

約11年前に、自分のはてなダイアリーに書いた駄記事*1
nigellanoire.hatenablog.com


当時はこの作品の日本語翻訳が出たことがあるのかよく知らないまま書いていましたが、このたびめでたく出るらしいです。


H・G・ウェルズが、自身の青少年時代を投影しコミカルに描いた自伝的長編。『ポリー氏の人生』が、本邦初訳で刊行決定!》
www.fukkan.com


問題の、たぶんdraperだと思われる業種を示す単語は、この紹介文では「服地商」と訳されているみたい。
そらそうですよねー。

*1:記事本体は駄ですが、ためになるコメントをいただいております