オメルタ、複雑な歴史ゆえの沈黙

 小森谷慶子『シチリア歴史紀行』(白水uブックス)読了。

シチリア歴史紀行 (白水uブックス)

シチリア歴史紀行 (白水uブックス)


 シチリアといえば「マフィア」しか思いつかない無学もんの私にとって、これまでシチリアってなんだかとても閉鎖的で因習まみれの古くて暗ーい土地、そういうイメージしかなかった(現在のシチリアに関して、ある面ではそれも間違いではないかもしれないけれど)。しかし本書を読めば、地中海の中央に位置するこの島が、陳腐な言い方だけど「東西文化の十字路」なんて形容されるにふさわしい場所であったと納得する。

 この本は「歴史紀行」という書名のとおり、特徴的な土地や文化遺産をひとつずつ紹介しながらその歴史を辿る内容であるが、いちおう主要な出来事や話題を時代順に並べた形になっているので、話が極端に前後するということはない。6世紀半ばにビザンツ(東ローマ)帝国の領土となるが、やがてローマ教皇領がしだいに拡大、その後9世紀にはイスラムに占領され、また11世紀にはノルマン王朝が成立。その後ドイツ人が来てスペイン人が来てフランス人が来て…ややこしくて私の頭には入りませんが、とにかく絶えず他/多民族が入り乱れる土地だったことはわかる(汗)。


 印象的だったのは、11〜12世紀のシチリア[王国]においては先住のイスラムの文化が尊重され、宮廷にはギリシャ人やサラセン(イスラム)人も仕えるという、多文化共存の状態であったというのに、いっぽうでキリスト教世界の中の内輪もめというか権力争いが続き、シチリアの支配者がそれに乗っかるようにして巧みに権勢を拡大したというところだ。
 シチリア大伯ルッジェーロ(ノルマン人)の時代、歴代の教皇がドイツ帝と熾烈な叙任権闘争を繰り広げており、ローマ教皇ウルバヌス二世と、ドイツ帝ハインリヒ四世が擁立した教皇クレメンスが対立していた。ルッジェーロは前者の後ろ盾となることで教皇の代理としての権限を獲得し、司教の任命権を得た。また、息子のルッジェーロ二世の代にも、派閥争いによってインノケンティウス二世とアナクレトゥスの2人の教皇が立つ事態が起きた。後者はルッジェーロ二世の支持を取り付けようとし、ルッジェーロ二世はその見返りとしてシチリアの王国への格上げを要求し実現させた。べつにシチリアに限った話ではないのかもしれないが、その位置やバランスの微妙さを感じて、ちょっと皮肉な話のように思える。


 1282年、フランス人(アンジュー家のシャルル)に支配されたシチリアで、フランス人代官や兵士たちの横暴に対する怒りが鬱積したあげくついに暴発したのが、パレルモで起きた「ヴェスプリ・シチリアーニ(シチリアの晩祷)」と呼ばれる事件である。その際の、どこかで聞いたような陰惨なエピソード:

 この最初の暴動のみで、二千人ものフランス人が殺された。フランス人かどうかはっきりしない場合は、咽もとに刃物をあてて「チチリ」と発音させたという。フランス人は「シシリ」としか発音できないからである。人々は修道院をも襲い、フランス人であれば聖職者でさえも手にかけた。老人も子供も女も、妊婦さえも容赦しなかった。