はみ出し者に厭な秋風がしみる

シオドア・スタージョン『輝く断片』読了。


 奇想コレクション河出書房新社)の新しい本。話題の新刊は、図書館に入っても長いこと予約の順番待ちだから・・・とハナから諦めていたのに、買い物ついでにふと入った分館で、棚にささっているのを発見した。分館はかえって穴場だったのか。とうぶん図書館の本は借りるまいと決めていたけれど、今回は貴重な巡り合わせなのであっさり借りてしまいました。

 前にも書いたが、同じ奇想コレクションスタージョン短篇集第1弾『不思議のひと触れ』はなんだかピンと来なかった。よく憶えていないけど、意味のわからない作品もあった。書評などがほぼ絶賛の嵐状態なのを見ると、ますます「なんで私には面白くないんだろう・・」と悲しかったり。他にスタージョン作品で読んだのは『きみの血を』だけ、これはまずまず最後まで興味を持って読了はしたものの、生真面目で陰鬱な小説という印象で、何かワクワクしたり「うまい!」と感心したりという感じではなかった。それでも今回も大森望氏のプッシュ度合いをみると、もう一冊読んでみようという気にはなってしまうのだった。


 それで『輝く断片』。幸い今回は、読んで意味がわからないと言う作品はとりあえず無し。読み始めるまですっかり忘れていたのだけど「ニュースの時間です」は既読だった(「SFマガジン」掲載済なので)。それも途中で自信無くなりかけたが、結末に見覚えがあったので間違いありません(なんていい加減な記憶)。その結末も含めて、主人公が突然つくりあげた言葉の無い世界の荒々しい物質感が、鮮やかに描かれているこの作品がけっきょく一番好きかなぁ。その次が「ルウェリンの犯罪」で、不幸で絶望的であることには変わりはないものの、しずしずした終わりかたが気に入った。

 ちょっと笑って読み終えられるのは「取り替え子」ぐらいで、相変わらず陰鬱で残酷な話ばかり。それも、<世界がそもそも残酷なのでこうやって小説に書いてしまうことでいくらかその残酷さを和らげてみました>と言われている気がするような、淡々とした調子。作者が奔放にクリエイトしたというよりも、なにやら全てが最初から不可避だったみたいに思えてくるのだ(『きみの血を』を読んだ時もそんな感じだった)。今で言うならサイコサスペンス風の「輝く断片」や「ルウェリンの犯罪」の主人公たちの、世間からのはみ出し具合がおよそ他人事とは思えず、シンパシーを覚えるよりもかえって嫌悪が先に立ち、小説として面白く書いてあるからといって単に面白いという気分にはなれなかった。そのわりにはグイグイ読んでしまえたんですけど。


 ところで、山奥に隠遁した人物が自分で建てた山小屋の、断崖絶壁に張り出した大きなガラスばりの窓というのが、「旅する巌」にも「ニュースの時間です」にも出てくる。こわい夢に出て来そうな眩暈を呼ぶ場面だが、これはなにか作者のオブセッションと関係あるのだろうか?