刺繍するオールドミス

ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転 − 心霊小説傑作選』(南條竹則坂本あおい訳)<表題作は今回パス。


 この本には「幽霊貸家」"The Ghostly Rental"という題名そのまんまのお話が収められています。その不気味な貸家の内部を鎧戸の隙間から覗き込むと、こんな具合。

素朴な昔風の内装で、馬巣織を張った椅子とソファ、予備のマホガニーのテーブル、壁には額入りの刺繍見本がかかっている。

この“刺繍見本”ていうのはおそらくサンプラーのことだよね、と刺繍をする人にはすぐ解るのですが、南條さんはたぶん知らないだろうし、そんな風に訳しても一般読者にかえってわかりにくいでしょうね。


 作中、くだんの貸家の秘密を主人公にこっそり明かしてくれる女性が登場します。

この妹はデボラ嬢と呼ばれていたが、文字通りの老嬢だった。(...)一日中、窓辺の鳥籠と植木鉢のあいだに坐り、小さな亜麻布に針を刺し − 謎めいた帯や縁飾りをつくっていた。

 “謎めいた帯”ってベルプルかしらシャトレーヌかしら。“縁飾り”はヘムステッチかそれともピコットみたいなの?・・というわけで、このデボラ嬢にはちょっと親近感(なにせ老嬢ってところに)を抱いたのですが、残念ながらこのあとそれほど活躍する場面はありませんでした。


 さらに、次の短編「オーエン・ウィングレイヴ」では、幽霊が現れるという部屋の様子が説明されます。

「(...)がらんとした、つまらないただの昔風の寝室さ。(...)壁には昔懐かしい“刺繍見本”が、ガラスをはめた額に入れて、三つ四つ飾ってあった」
コイル夫人は身震いしてあたりを見まわした。
「ここには刺繍がなくてよかったわ。こんな薄気味の悪い話、初めて聞いてよ! (...)」

・・・って、“刺繍”がすっかりホラー的小道具に?