不信心ものがカウントすれば

  朝日新聞のサイトより:
国会議員84人、例大祭中の靖国参拝 閣僚の参加はなし

超党派国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=瓦力・元防衛庁長官)の衆参両院の国会議員84人が18日朝、秋季例大祭中の東京・九段の靖国神社に参拝した。(...)

 くだんの(笑)団体名も「に参拝する(...)会」だし、ニュース本文も【に参拝した】を採用。午後のNHKテレビのニュースでも同様の表現をしているのを聞いた。


  いっぽう、共同通信では:
84議員が靖国集団参拝 超党派、内閣から8人

 超党派の議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・瓦力防衛庁長官)は18日午前、秋季例大祭に合わせ東京・九段北の靖国神社を参拝した。(...)
 参拝後に記者会見した瓦氏は、安倍晋三首相が靖国神社を参拝するかどうかの明言を避けていることについて「いろんな問題があり、首相が参拝するのは困難な状況だ。会としては(参拝の)お願いを続けていく」と述べた。

 としており、議員さんグループの名称とは異なる【を参拝】との表現をしている*1

 今回テレビで【を参拝】との表現を採っているところがあったかは確認していないが、過去に【を参拝】とニュースで言っているのを聞いたことがあり、その時感じたかすかな違和感(前に取り上げた「〜を切りつける」に感じるそれよりは薄い違和感である)がきっかけで、この種のニュースの時にはいちおう気をつけて聞くようになった。これも私が気づいたのはほんの1〜2年まえのことであるが、もちろんずっと以前から両方の表現が使われているのかもしれない。私自身は「〜参拝する、〜お参りする」という言い方をするし、聞いた感じもそちらの方が自然に聞こえる。

 こじつけてみるなら、【に参拝】のほうは、どこどこの寺社「に」「参る」ことに重点を置いているのに対し、【を参拝】のほうは、神仏「を」「拝む」行為を主にしていると解釈することもできるだろう。とすれば、たとえば他人からは見えない場所でひそかに1人そっと信じるものに向かって「個人の心の問題」として手を合わせる行為でなく、白昼堂々しかもことさら目立つ集団で寺社空間へ身体を運び込むという行為には、【に参拝】のほうがよりふさわしく思われる。

  • 靖国の連発ばかりもアレなので、ちょっとアレンジして:

*1:ただし、共同通信からこの記事を配信されていると思われる京都新聞の紙面では、添えられた写真に【靖国神社に参拝する超党派国会議員ら】とのキャプションを付けており、本文と統一されていない