私が読んだのは、集英社『田辺聖子全集』第15巻に収録された分です。
『ちゃらんぽらん』のほうを読みかけた当初、一話ごとに熊八中年(“カモカのおっちゃん”のヴァリエーション?)が登場、必ずといっていいほど下ネタ方面へオチを持っていってくれるため、これはたぶん雑誌初出時の読者に合わせたサービスなんだろうなぁ・・と思っていた。
しかし読み進むにしたがって、汚ないたとえ話とか卑猥な語呂合わせなんかの実例が次々出されるので、実際やはり大阪弁は下ネタ満載なんだと納得させられてしまった*1。江戸から大阪へ赴任してきた町奉行が《当地は一体淫風にして、婦女子の風儀よろしからず》と書き残しているというし。たとえば大阪は遊芸の盛んな土地であったけれど、東京の山の手風官僚気質の親ならば「踊りの文句が小さい子供には色っぽすぎる。風儀上よろしくない」ということで稽古を止めさせてしまうかもしれないところを、上方では「もともと踊りや唄はそういうもの」「それがどこ悪うおまんねん」とすら考えているふしがある、という指摘が面白い。
そのような例のひとつとして、有名な手まり唄【十二月】というのが紹介されている(もちろん私は見たことも聞いたこともなかったもの)。歌詞は→このウェブサイトにも載っているが、そこの解説に
その歌詞の裏面に思い切った性的挑発の意味を含んでいるので、一部の人達には大いに忌避されたが、(...)それを六つや七つの女の子が童謡のように覚え込み、公然とそれをうたったところに上方人の特色が見られる。
とある。これを読んで思いだしたのが、あの映画『ウィッカーマン』。大人も子供もいかがわしい歌や遊び(儀式?)を平気で繰り広げる島へやってきて、困惑し憤然としていたあの警部は、江戸から赴任した町奉行と同じだったのか。大阪は『ウィッカーマン』のサマーアイル島だったのか!!と、私はポンと膝を打ったのでありました*2。
それはともかく。お聖さんのお祖母様かそれ以前の世代が使っていたという《ごわんな》《ごわへん》《ござります》などのおっとりした響きの語尾、いまはもう完全に誰も使わなくなっているのではないか(一度、著名な地唄のお師匠さんか何かに聞き書きしたものを読んだときに見かけたことはあるけれど、実際に耳で聞いた経験はない)。そこまで古い言葉でなくても、この2冊が書かれてからでもすでに20年以上が経過し、ここで取り上げられたような懐かしい大阪弁をしゃべる人の数はきっと更に減少していることだろう。それらの由緒ただしい正統大阪弁に比べたら、私のしゃべっているものなんて「かなり標準語に汚染された関西弁もどき」でしかないことが痛感される。文字を目で追うと、そのイントネーションや語調を耳の中でうっすらと奏でることはできるが、自分の口からは出ることのない大阪弁の数々は、まさに懐かしいとしか言いようのないものである。
*1:同じシモでも、「坊さんが○をこいた」とか「ケ○割る」とかスカトロ方面?のヴォキャブラリーは自分もよく使う(爆)ので、もともと実感あり。
*2:それはそうと、ニコラス・ケイジ主演のリメイク版は日本未公開。DVDは出るのかな?