ある人生の決算


 「ピアノマン事件」(Wikipedia参照)の時に、内容が類似しているということでちょっと話題になった作品。この映画の姉妹を見ていると、なぜか金井久美子・美恵子姉妹を連想してしまうのだ・・・いや、美恵子=ジュディ・デンチとは思わないんだけど、姉の久美子さんは(わずかに見たことのある写真から)ややマギー・スミスのイメージなんだなー。ほっそりとクールで鋭利な顔立ちの。違ったかしら。
 意識を取り戻した青年に、姉のジャネット(マギー・スミス)が「私はミス・ウィディントン。こちらは妹のアーシュラよ」と名乗る場面がある。英国では、女きょうだいでも長姉はMiss○○=「家」の嗣子扱いであって、妹とは区別されるのか…とそこで思った。たしかオースティン物の映画でもそんな呼称の区別を見かけたような気がしたし。
 やがて青年が起き上がれるようになって、きちんとした衣服を買ってやる必要があるという話が出てくる。ジャネットが「伯母様から貰った預金から出しましょう」と提案し、アーシュラ(ジュディ・デンチ)が「共同名義の預金があるじゃないの」と反発する。やはり、姉だけが相続した財産があることが察せられる。


 ふたりのこれまでの人生について説明的なことはほとんどされない。会話や行動のあちこちから、断片的に推測されるだけだ。姉ジャネットはドイツ語を話せて、文法の本を今も手元に持っているところを見ると、少し上級の学校を出ているのかも知れない。第一次大戦で傷病兵の看護経験があるらしいし、その戦争で亡くなった恋人がいた。いっぽう、妹のアーシュラはほとんどドイツ語を知らない。逆に、青年に英語を教えること=自分の領域へ相手を呼び入れることで意思の疎通を図る。おそらく外の世界へ出て行った経験がほとんどないから。姉妹の性格の違いでもあり、これまでの生き方の反映でもあるように思える。父が利用していた仕立屋がどこだったかも姉ははっきり知らないのに対し、妹のほうは亡き父が愛用したツィードの背広の手触りまで記憶している。進学し仕事にも就いた姉に対し、生家で最後まで父の面倒を見た妹、という図式が思い浮かぶ。あくまで推測。


 この映画のクライマックスと思えた箇所は、アーシュラが姉に「不公平よ」と訴え、ジャネットが「そうね、確かに不公平だわ」と応じる場面(直接的には、姉には若い頃の恋愛経験があるが自分には・・という会話なのだが、もっといろんなものも籠められている)。彼女たちにとって必要なのは、王子様の訪れとかではなく、この和解だったのだ。これまでの数十年の人生でずっと内に秘められわだかまっていた思いが初めて言葉になって吐き出され、認められたことで、再び冒頭と同じように仲良く浜辺を歩くラストシーンへつながるのだと思う。
 このあと、時代は再び戦争の暗く辛い日々へ続いていくことになる。それが描かれていないのと同様に、この映画の時間が始まるまでのいろいろなことが描かれていない。最初に浜辺で意識不明の青年の顔を見た時の、アーシュラの表情が何を物語っているのかも謎のまま。私には、秘められたある具体的な記憶を思い起こさせる何かをそこに見いだした人の表情、に見えたのだけど。アーシュラにはほんとに「恋」と呼べるものが無かったの?

  季節の巡りを表した短いシーンだが、村人たちの収穫作業が淡々と映し出される黄金色の美しい風景も印象に残った。『刑事ジョン・ブック』の、村人総出の「新婚さんの家建築&キルト製作」場面を思い出させる。ふとったお手伝いさんはじめ村の人々、特に最後のラジオを聴きに集まった場面の表情がとてもいい感じ。