内藤ルネ/“ロマンティック”よ永遠に

 私にとっての「内藤ルネ」は、くっきりした輪郭線に囲まれたいちごやパンダのイラストが描かれた透明シールの人だった。子供のころに買ってもらったそんな商品の端っこに「内藤ルネ」「RUNE」と印刷されているのは、人の名前なのだということが子供なりにわかってはいても、実在の一人のイラストレイター・デザイナーとというよりもむしろ“サンリオ”みたいな、一種のブランドのごとく感じていたような気がする。

 今回の展覧会では、我が家の女性史における文化的空白期(笑)である1950年代後期〜1970年頃*1内藤ルネの業績も詳しく知ることができた。中原淳一の後継者として『ジュニアそれいゆ』以降の少女向け雑誌でまさに八面六臂の活躍(いまふうに呼ぶとクリエイティブ・ディレクターていう感じなのだろうか)をしていたことがわかったし、雑誌の実物誌面が多数展示されているのに加えて、当時掲載された手作りアイデアを現在の若手クリエイターが復元し実際に制作した作品(ドレス、帽子やフェルトのバッグなど)もとても面白かった。
 ファンシー雑貨のさきがけとも言えそうなルネ原案の陶器類(丸っこいきれいな文字で指定を熱心に書き込んだデザイン原画も可愛らしい)が「こんなに!」と驚くほど他種類集められており、少女雑誌の付録や頒布商品と並んで、内藤ルネが「グッズ化」の時代の代表選手だったことが強く印象付けられる。また雑誌『私の部屋』などに紹介されていた、医療用ガラスキャビネットを白くペイントして家具として使うアイデアビスクドール・はてはゴシック/ロリータ嗜好に至るまで、ひろく「女の子文化」にとって彼の発想とセンスが未だにどれほど大きな影響を与え続けているかに気づかされる展示だった。

 個人的には、『私の部屋』の連載などは、たしかに見覚えのあるページも幾つかあったのに、「内藤ルネ」の名前と頭の中で結びついていなかった。2号で終刊してしまった『薔薇の小部屋』はたまたま発行当時に購読していたのだけど、今回やっと子供時代に知っていた内藤ルネから晩年までのキャリア全体が、私の中でつながって見られるようになり、改めてルネさんてすごい人だったんだなーと実感できた。たいへん充実した展覧会でした。

 画像はチケット半券と展覧会グッズ2点:クリアファイル、エアーフレッシュナー(吊し型芳香剤)。

*1:すなわち母が結婚して少女雑誌の世界と無縁になってから、私たち姉妹が子供向きファンシー商品に出会う年齢になるまでの期間