なんにでもなーれるー♪

 本邦における「せんとくん」の衝撃に先立つこと10有余年、韓国ではすでに仏教界公認のゆるキャラブッダちゃん」が誕生していた!
  当日、講師の岡田先生がプロジェクターで見せて下さった画像があると面白いのだけど、とりあえずこちらの記事に出てます。これはまだ伝統的なポーズをきめていますが、実際はギターを弾いたりバイクに乗ったり、体の不自由な人を介助したり地球をクリーンにしたり、はたまたバッジやシールやマグカップになったりと忙しいキャラらしい。これの名前、正しい発音を知ってる人いたら教えてたもれー。
 以下、あてにならないまとめ。
 もともと仏教にまつわる「もの」が、日本に比べたらずいぶん希薄であった韓国仏教の世界で、90年代後半から突然ひろまりはじめたブッダちゃんキャラ、じつはソウルオリンピックのデザイン周りを担当した広告代理店ががっちり企画展開しているものらしい。韓国仏教最大宗派の管長を含む高僧たちが居並ぶ背景に、ゆるキャラのバナーが堂々と飾られている写真は確かに衝撃的ではありました。
 儒教思想による物質軽視の考えかた、そして強制された禅宗律宗の合体という独特の宗派的特徴もあって、韓国仏教(寺院)ではもともと仏像というものがあまり重視されていなかったようだ。日本では国宝とか重文とか、誰もが思い浮かべるそして芸術的価値も宗教的威光も高いと受け止められるセレブな仏像が多数あって、「せんとくん」は、いくら仏さんじゃありませんと言ってみてもやはり常にそれらと対置され評価される運命だが、韓国のブッダちゃんはその点やや身軽な存在なのかもしれない。
 韓国では日本に比べて仏教徒の比率というのもそれほど多くないし、社会的発言が盛んで行動力もありそうなキリスト教徒に比べて、あまり「われわれ仏教徒は…」というような立ち位置からの考え方や発言がはっきりされることもないようだ。仏教が国家から弾圧された時代に、寺院は地理的にも辺境へ追いやられた。儒教思想支配下にあって、仏教は「二級宗教」みたいな扱い(たぶん。先生はそういう言い方はされなかったけど)だったらしい。たとえば仏教のお寺は女が参拝に行くもの、それも子どもの受験合格とかそういうレベルの願掛けをするために。息子はお寺の前まで母を送っては行くけど(それが「孝行」だから)、自分は中には入らない。オンナの行くような場所だから。反面、女性にとっては、参拝や仏教行事は、家庭から脱出して女どうしの集まりに参加する口実にもなっていた。
 そんなふうに、仏教じたいがもともとオルタナな存在であったという事情も影響しているのだろう。いまでは(かつての弾圧の結果)主に辺鄙な山地に建っている仏教寺院が、かえって「環境に優しい」(笑)イメージをかもしだしてもいるそうな。お寺の紹介ビデオがヒーリンググッズとして利用されたり。
 かつてないグッズ化の激流を経て、ブッダちゃんはいまネット上に漂い出そうとしている。身につけられる「モノ」になることで束の間「わたしの」ブッダちゃんであったものが、誰のものでもない空間で限りなく複製され続ける。どこにでもいて何にでもなれるブッダちゃんの遍在は、ホトケのありかたとしてはむしろ正しいのかも知れません。合掌。