ついていきたい

笙野頼子三冠小説集』 (河出文庫)読了。

笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)

笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)

 再々入門くらいの意気込みで読みました。たぶん書いてあることの数パーセントも理解できていないと思うけど、この人の文章を読んでいると、すごく力の強い人に支えられているみたいな安心感がある。


 「二百回忌」のみ既読で、やっぱりこれが一番読みやすく楽しかった。昔読んだ時は、たしかこのジャケットの絵に似たものが思い浮かんだけれど:

The Grand Wazoo

The Grand Wazoo

 今回は、赤い喪服に真っ白のカミシモを着て、頭に給食係のような三角巾を被り、蒲鉾でできた二百回忌専用の家に梯子を掛けてよじのぼっていく本家の若当主の、

背中には弁慶のように何種類もの刃物を背負っている。消毒済と書かれた紙の封が、鋸や薙刀の刃のひとつひとつに掛かっている。

という箇所を読んだとたん、山口晃の細密な「洛中洛外図」「最後の晩餐」などのくすぐりディテールを思い出して、笑ってしまった。
 また、会話文の生々しさ、“いかにも有りそう”さがたまらなく面白い。「二百回忌」の親戚たちや、「タイムスリップ・コンビナート」の謎の電話の編集者、「なにもしてない」のお医者さんとか。実際に聞こえてきそうなほど、本当ぽく、でありながらそのまま世界がズレていくような感じ…。

 そういう面白さの反面、「なにもしてない」の語り手の置かれた状況は、その接触性皮膚炎の恐ろしい症状を除けば、あちこちで私自身のあれこれと重なってきて、じゃ皮膚炎を起こさない代わりに私には何が起きた?…と考え出すと二重にホラーになってくる。私のは「ひきこもり」と言えるほどの意味すらないから同じじゃない、いやでもやっぱりどこかは似てる…と気持ちが右往左往してしまう。


 私にとって笙野頼子は、読みにくくはない(むしろある面では快く楽しい)(いや、ほんとに読むに辛い部分には目をつぶっているからかもしれない)けれどもちろん難しく、しかし「私には関係ない」と言って忘れてしまうこともしにくい作家だという気がそろそろしてきた。最近の作品はますますもっと難解らしいのでどこまで手を出すかは考えないとアレだけど、近寄ったり逃げたりしつつ、たぶんまだ諦めずに読む(←やや弱々しく)。